体重を乗せるのではなく、スタンディングフットポジションに引きつける | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

社交ダンスを踊る多くの方が、ステップは体重を乗せながら

踊るものと思っています。

また、レッスンを見ていると、ステップにしっかりと体重を乗せ

一歩一歩正確にフットワーク通り踊る様にと教えられている

生徒が多い様です。

確かに教えるにあたって、体重を乗せるとかつま先で立つとか

膝を曲げるとか、説明しやすい言葉でレッスンが行われる事が

多いのですが、この安易な言葉だけの印象で社交ダンスを

踊ろうとすると、実際には、普段歩くよりも不自然で特異な

運動と成ってしまうのです。

 

世に出回っているレッスン教本やレッスンビデオを見ても

その教え方は30年前と何だ変わらず、ただ見えた様に

誰もが想像するように説明しています。

しかしながら、例えば、トウでライズすると言う説明を受けて

つま先で立とうとした方々が、果たして本当に難なく立てる

と言う訳では有りません。

クラッシックバレーの基本を習った方ならまだしも、

何もした事の無い方々が、足の指先で体重を支え、高く

伸びあがると言う事は至難の業なのです。

 

その為、多くの方が能力や体力不足を感じ、下半身の

とりわけ指の周囲の力を増そうとして、益々バランスを

失ったり怪我の原因と成ったりしているのです。

社交ダンスにせよスポーツにせよ、観客サイドの印象で

演じようとするとそもそも無理があるのです。

何故なら、たとえ指先で立っていると言っても、実際は

全身の身体の筋肉の連動でパワーが生れ、更には

正しいバランス機能が有って立てるのです。

 

それらの筋肉は誰にでも備わっていて、上手く使えれば

とても気持ちの良いものであり、身体の機能を充分に使って

パフォーマンスを行うエキスパートは、同じように身体を

使うお相手や自分が運動を伝えた種具と共に、スポーツの

醍醐味と快感を味わう事が出来るのです。

所が、多くの方々は、沢山のステップやテクニックを身に付け

習った通り動かせば楽しく踊れると思っていて、

多くのアイテムを身に付け知識を多く習得すればするほど

苦しい踊りに成ってしまい、社交ダンスを踊る楽しみも

喜びも見失っているのです。

 

音楽が流れてきて目の前の方と踊り始めると、すぐさま

お互いの身体の中の運動の繋がりと心の躍動が感じられ

考えるまでもなく反射的に心と身体が躍動し始めなければ

社交ダンスの楽しさは味わえません。

一生懸命頭の中のテクニックやルーティンを確認していては

社交ダンスの呪縛に囚われて身動きできなくなってしまいます。

 

社交ダンスのみならず、あらゆる人間の行動は、外界に対する

溢れるばかりのセンスで生み出される事が大切です。

お相手に対しても音楽に対しても踊る環境に対しても、五感が

フルに反応できる身体を作る事が重要です。

 

社交ダンスが上手に成るには、四六時中社交ダンスの練習を

していれば良いというのは初歩の段階で有って、たとえそれで

外見的に素晴らしい踊が出来ても、心から生み出されたもので

無ければ、見ている人は直ぐに飽きてしまい、本人達も何の

感動も喜びも沸いて来なくなるのです。

 

社交ダンスの様々なテクニックも運動表現も、美しい外見を

作る為だけでなくそれ以上に心を成長させる事が大切です。

人々を感動させる素晴らしい踊りを踊るには、自らがお相手や

音楽に常に敏感に反応できる様に成らなければ成りません。

社交ダンスは、コンタクト面を通してお互いの心の移り変りや

躍動を感じる事がとても重要です。

 

実際に触れてみると、外見と心が全く違っている事も良く有り

目の前のお相手の心を感じる為のコンタクトを大切にする事が

ペアとして上質の踊りが踊れる条件とも言えます。

その為のテクニックを習う事が大切なのです。

体重をサポーティングフットに乗せようとするだけでは、

慣性の法則が働いていて重心がコントロールし辛く、

お相手を押したり引っ張ったりしてしまいます。

 

サポーティングフットポジションが決まったら、上半身の運動を

正しく使い背中側の筋肉を使う事で重心が自分の身体の中に

しっかりとコントロールされます。

結果的に体重を乗せて見えますが、行っている運動の中身は

見た印象とは全く違っているのです。

正しい男女の運動機能を使うと、お互いに押したり引いたりしないで

作られた運動が表現と成って美しい外見を作るのです。