社交ダンスは、競技ダンスと思っている日本人の不幸 | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

メディアの発達は、世界に広く情報を伝え

文化の発展に大きく貢献しますが、その一方

情報提供者の意向によって、偏った考えや

知識が広く流布される可能性もあり、時に

多くの人々は間違った情報に惑わされて

真意を知る事が出来ない事もあります。

 

日本に伝わった社交ダンスも、戦後

国民の多くにその魅力を伝える事で

人々に喜びと幸せを与えて来たのですが

日本に伝わった情報が、正しく伝えられたか

と言えばそうとも言えず、間違って伝えられた

情報が、いまだに日本人が正しい知識を

得ることが出来ず、せっかく興味を持って

社交ダンスの世界に飛び込んだものの

思い通りの踊りが出来ず、苦しんでいる踊り手が

実に多いです。

 

テクニックもさることながら、社交ダンスの

大切なマナーの育成が成されず、単なる個人的な

これ見よがしの外見だけの美しさを求める

踊りがまかり通る事と成ってしまいました。

折からテレビで放映される社交ダンスの殆どが

外見的な派手さを求める競技ダンスと成って

人々は競技ダンスが社交ダンスと思ってしまう様に

なってしまいました。

 

確かに、競技ダンスが見れば感動的で美しく

その踊りを見て自分もあの様に踊りたいと思い

社交ダンスの世界に身を置く方も多いのですが、

残念ながら、外見では解らない男女の関わり合い

運動表現の違い役割りの違いを正しく習うことが

少ない事もあって、男女の間には楽しさや喜び

と言うよりもハラスメントに近い関係が起きている

のです。

 

男女が身体の一部をコンタクトして踊ると言う事は

そこからお互いの運動がダイレクトに伝わります。

自分だけの考えや知識で踊れば、当然、二人は

格闘技の様にお互いを苦しめるだけと成ります。

多くの踊り手が、うまく踊れなかったり、苦しい

踊りとなるのは、知識が足りなかったり、

運動能力が足りないからと思いがちですが、

実際は、男女の関りを初級の段階から

シッカリと習っていない事が原因と成って

いる場合が多いのです。

 

欧米社会で社交ダンスがマナーの育成に

利用される理由は、お相手を気持ちよく

踊らせることが出来なければ、本当の

社交ダンスの楽しさは得られないからです。

しかしながら、今日本で踊られる社交ダンスは

外見的な美しさを優先したものがとても多く、

見た様に身体を動かす事で、実際に踊ると

自由にならない自分とお相手に苛立つだけで

二人の間には苦しみしか生まれません。

 

マナーと言うのは、丁寧な行動や言動を身に付ける

というものではなく、対人的に、他人の気持ちを察して

お相手がその時欲している行動や言動を行う事であり

常に柔軟性を伴う感情豊かなものなのです。

所が、社交ダンスを外見的な美しさや表現として記憶し

マニュアルとして踊れば、誰と踊ってもお相手は、楽しさ

と言うより苦しさとしか感じないのです。

 

社交ダンスを踊る現場で、競技選手やコーチャーと踊れば

とても踊り難い現実が有るのは、彼らが、外見的な踊り方と

テクニックやステップをそのまま自分の踊として取り入れて

踊ると言う、お相手の心と身体を感じる練習を重ねて

来なかったという事実を示しているのです。

社交ダンスの延長上で、特定の方とペアをと成り、競技ダンス

の世界に身を投じる方も多いのですが、前提条件として

誰とでも踊れるマナーの在る社交ダンスを習う事が

とても大切と言えます。

 

様々なサークルやクラブで多くの人達が社交ダンスを

踊っていますが、その殆どが、特定のステップやルーティンを

覚えて確認し合う踊りと成っています。

同じグループやお相手としか上手く踊れないのは、お互いに

記憶している申し合わせの踊りしか出来ないからです。

世界中の誰とでも楽しめる社交ダンスを習う事が、本当に

踊る楽しみを味わう方法であり、外見を他人と比べる踊りは

ストレスは有っても喜びは生まれないのです。