世界に一つの踊りを目指して | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

今や、世の中は、ハウツウ物の書籍やビデオ
DVD、更には、メディア、ネット情報に溢れています。

テレビを見れば、学者から一般人まで、日本人全体が

評論家と成って、言葉巧みに意見を述べます。


社交ダンスに於いても、膨大な知識をあらゆる情報から

手に入れる事が出来て、どんなに難しい運動表現も

その道の専門家やエキスパートが説明をしてくれます。
踊る為のテクニックは、身体のあらゆるパーツを説明し

社交ダンスを楽しむ人たちのバイブルと成っています。


しかし、それ程にも多くの解説がありながら、実際に踊る
人達の技術が上がらないのは、一体どうしてでしょう。

有名な先生に習っても、沢山のステップを覚えて、
華やかなルーティンを踊ろうも、本人だけでなく、

見ている人達さえ、差ほど感動できないのは、一体

何故なのでしょう。


確かに、プロの目から見ても、ここ20年程で、競技選手の
踊る技術は大幅に進歩して、表現は、より華やかで豊かと成り

どの選手を見比べても、海外の選手に見劣りしない程の

エンターテインメント性が感じられます。

アマチュアの選手もプロの選手も、しっかりとした技術と

運動表現で、踊る姿のどの部分を比較しても力強く

華やかと言えます。


所が、テクニックも運動表現も素晴らしいのに、なぜか

心に残りません。

まるで、ディズニーランドで行われるエレクトリックパレードを

見ている様で、見ている時は華やかなのですが、その後は

暗闇が残るだけで、ペアの印象が余りありません。

確かに、テクニックや運動表現の比較とすれば、甲乙を

つける事や順位をつける事は簡単なのですが、男女が

踊っている印象があまりないのです。


男女其々の能力は素晴らしいのですが、どちらも同じに見え

男女其々の魅力が感じられないのです。
簡単に言えば、運動能力に優れた二人の人物が踊っていて

男と女の作り出した世界が感じられないのです。


社交ダンスは、スポーツ的芸術と言われるように、スポーツの

要素はとても強いのですが、男女が作り出す芸術か?と

言われれば、首を傾げたくなるペアが非常に多いのです。

其々の運動表現が難しいのかもしれませんが、男女の踊りが

ペアとして作り出していると思える世界が感じられないのです。

 

外見的な美しさだけを競う踊りならば、男女が組む事も無く

中性的な二人である方がより美しさを増すのではと
思えてしまいます。

この観点から、世界の踊りを見てみると、海外の選手を見ると

今だけでなく、昔から、しっかりとした男女の役割が感じられ、

其々が、如何に、男女の特性を表現しているかが解ります。

二人の踊りが、常に、相手との関わり合いによって生まれていて

男子の踊り女子の踊りと分けて演じられていないのです。

その為、踊っている時の男女のメンタルの部分の表現が

踊りの細部まで感じられ、其々の踊りが、相手の運動表現の
隅々まで関わっているのが感じられます。

 

この事は、日本のレッスンだけでなく、日頃の男女の関わり合い

と言うより、人と人との関わり合いに於いても、外見的な要素や

社会的な比較と言った、目で見た価値観が日本人の生活に

根付いている事も原因として挙げられます。

プロだから上手だとか、競技選手だから上手く踊れるとか

沢山ステップやテクニックを覚えているから正しい踊りを

踊っているといった、固定観念が、本当の踊りを習ったり、

感じたりする能力を失わせている様に思えます。


その為、自分達が本当に求める踊りが見つけられず、

外見的に上手と思われる人の真似をすれば、上手になると

誤解しているようにも思えます。

社交ダンスに限らず、あらゆるハウツウは、自分の目的とする

踊りを目指す為には有利ですが、そのものを真似たとしても

決して上手にはなりません。


見た踊りを作り出している本当のテクニックや運動表現を

見抜けていて初めて自分の踊りの参考になるのです。

また、その為には、自分の踊りとパートナーの踊りの

目に見えない、大切な部分を理解していないと、どんなに

素晴らしいレッスンを受けても、素晴らしいテクニックを知っても

自分自身の踊りとはならず、単に、美しい衣装を重ね着して

いる様な、外見的に不自然なウザい踊りと成るのです。

踊る時の衣装と同じく、外見的なテクニックは、二人の

豊かな人間性に決して勝るものでは無いのです。

其々の個性を持ったペアが、踊る為のテクニックや
衣装を持って、その素晴らしさをより美しく華やかに

演出しているのです。


素晴らしい踊りが出来ると言う事は、その外見を上回る

男女が作り出した、感動的な人間性が有って成り立つのです。

この、豊かな人間性は、お互いに相手を心から想い感じる事で

育って来るものです。
男とは違う女の、女とは違う男の人間性をそれぞれ感じる事で

習ったテクニックや運動表現が生きてくるのです。


この表現は、当然、欧米人と日本人は違っていて当たり前であり、

日本人は日本人としての豊かな心の様を、社交ダンスを通じて

表現する事がベストなのです。

この事は、一般の方々が踊る時も、まだ、ステップを踏む事さえ
ままならない初心者であっても重要な事です。

社交ダンスは、何故、マナーを問われるかと言う深い意味が

踊りの中には隠されているのです。

例え、競技を踊るような、スピーディで華やかな踊りを踊る時も

その根本には、お互いの人としての深い理解が無いと、

持っている技術が生きて来ず、単なる借り物になってしまうのです。


日本人は、もう、真似をして世界を目指す民族では有りません。
私達は、私達の心から生まれた踊りを目指すべきなのです。

習う時も、教える時も、其々の気持ちや個性を失わない様に、

社交ダンスと言う道具を通して、人間として成長できることが

一番大切と思われます。