物まねでなく、新鮮な踊りを | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

スポーツの世界に於いても舞踊の世界に於いても
目的とするパフォーマンスを習得する為には、

その道に於けるエキスパートの様を真似ると言う事は、
少しでも早く、求める技術や運動表現を身に付ける為に

とても有効な方法と言えます。


昔から、様々な道を究めるには、習うより、見て盗めと

言われる程、先輩の行動を一部始終身に付ける事が

上達の秘訣点されてきました。

確かに、自分で考えるより、目で見て、真似る方法は

技術を習得する上では非常に大切で有り、学ぶ基本の

1つともいえるのです。


この最たるものが、今、テレビのゴールデンタイムで

放映されるカラオケ番組と言えます。
機械が設定した、元歌の音源に出来るだけ近づけ

音楽の要素である、音程、リズム、ビブラート、コブシ

と言った加点ポイントをいかに上げるかを競います。
カラオケは、今や、全世代が楽しむ娯楽の1つです。

機械が厳密に祭典を行い、歌い手はその点数に

一喜一憂します。

最近では、100点満点で優勝する歌い手も出てきて

視聴率もどんどん上がっています。

 

しかしながら、完全に機械に合わせて高得点を上げた

からと言って、本当に歌が上手と言えるのでしょうか。

確かに、特典の要素も満たし、間違いなくうたえたと言って

多くの人の心を感動させると言えるのでしょうか。

歌い手は、人々に、歌詞に託された思いを人々に伝え

聴いた人の心を幸せにしなければならないのです。


とは言え、機械とは言え、その要求に応えた歌い手の声は、

下手な歌手よりもずっと魅力的で美しいものです。

その為、より、人々に素晴らしいと感動させる歌の要素を

人々に伝える大きな力になっている事は明らかです。


所で、社交ダンスを習う時、このカラオケを歌う事と、一見

よく似ていて、より、お手本と成るエキスパートの演技を
完璧に真似、足形を間違わず、習った通りの運動表現を

行えば、自分の望む、思うがままの踊りが出来る様に

思ってしまいます。

 

しかし、社交ダンスは、この時点で終わってしまうと、
単に、踊れる人の物真似に終わってしまい、せっかく覚えた

様々な知識や運動表現が生かされないのです。

社交ダンスがカラオケと違うのは、常に、目の前の人の

心を満足させる様、覚えたテクニックや運動表現を

相手の要求に合わせ、的確に変化させる能力が必要であり

お互いが相手の事を充分り理解した結果、相手に合うステップや
運動表現を選択しなければならないのです。

多くのアマチュアの方の踊りに欠けている事が、対人センスを

育てなかった事に依る踊り難さが不自然な運動表現を生む
結果を生んでしまっている事です。
しっかり有名な先生に習っているから、習った事は間違いなく覚え

足形を間違えなく踊れる様になったから上手になったと思っている

残念な方がとても多いのです。


確かに、先生とは上手に踊れるかも知れませんが、それは

特定の人と決められた運動表現をする競技ダンスや
デモンストレーションダンスと同じであり、社交ダンスでは有

在りません。

勿論、社交ダンスの延長上に競技ダンスも有るのですが、

例え、特定の方と踊っていても、踊っている時は、その都度

相手の心と身体に気遣いながら、その日のベストの踊りを
提供していかなければ有らないのです。


以前、上手に踊れたから、その事を思い出して、その通り

踊ると言う事は、社交ダンスでは考えられないのです。

社交ダンスは、スポーツ的芸術と言われるように、常に、
目の前のお相手とその時流れる音楽に反応して演ずる
とてもフレッシュな踊りなのです。

当然、相手の状況により、周囲の環境により、以前踊った
自分が好ましく思われる運動表現とは全く違うのです。
ルーティンを決めて同じような踊りを踊っている様に見えて

エキスパートの踊りは、その都度新鮮な気持ちで、音楽と
パートナーを感じる事に依り、新たに作られているのです。

社交ダンスは、一見、外見的な美しさを表現している様に

思えてしまいますが、実際は、男女の心の様を、音楽を通じ

社交ダンスの運動表現を使って演じているのです。

男女が、身体の一部をコンタクトしていると言う事は、

言葉を使って意思の疎通を行う以上に、繊細で内面的な

気遣いが必要なのです。

様々な種類の踊りがあり、ステップの種類がりますが、

そのどれもが、相手を知る為の道具であり、自分の思いを
伝える為の道具なのです。

その道具は、身体の筋肉の力を使い体重を伴うことから、

相手の思いに的確に使われなければ、相手にとっては

大きな負担になり、男女が、自分の事しか考えられないと

社交ダンスは、すぐさま、格闘技と成ってしまうのです。


しかしながら、多くのペアの踊りを見ていると、優雅に

踊っている様に見えて、全身が硬直し、音楽とはかけ離れた

顔で笑って心で泣いている踊りが多いのです。

この事は、華やかな衣装に身を包んだ競技選手ですら

同じ傾向が多く見られ、外見的なテクニック以上に

内面的な成長がおろそかにされている結果と言えます。