社交ダンスを習っていると、足形や上半身の形
だけでなく、上体の使い方の説明を受けます。
ただ、形を維持するだけでなく、どの様に使って
運動表現をしたり、相手との関わり合いを持つかを
習います。
しかし、多くの場合、外見的に身体を動かし、運動表現が
目で見える形で教えられることが多いです。
つまり、足形を習う時と同じく、動く身体を客観的に見て
その様を記憶して、同じように動かす事と思ってしまいます。
つまり、しっかりと記憶して、踊る時に足形と同じく、
客観的なボディの動きを再現します。
ゴルフを習う時に、プロから、打った時構えた時の身体の
形状を習い、その形を思い出しながらショットをするのと
全く同じで、殆どの場合、長い練習を行っても
身に付きません。
社交ダンスを踊る時、外見的に見えるボディの形状も
足形も、これは、観客から見た踊りと同じであり、
何故、社交ダンスが上手く踊れ無いのか、スポーツが
苦手となるのか、それは、それぞれの運動の特性を
真似るだけで、その特性を生み出す共通の運動を
習っていないからです。
なお、より豊かな演技や力強い運動は、個人的な
組織の優劣によるものであり、トレーニングによって
誰にでも向上することが出来ます。
しかし、どんなに体力が有っても、テクニックを覚えても
この人間に備わっている運動のメカニズムを知らないと
記憶だけで上手に踊る事は出来ないのです。
ゴルフが上手にならないからと、クラブをどんどん新しく
買い替えたりするのと、ステップの種類を増して行くのと
よく似ていて、素晴らしい足形を沢山知っていても、
一向に上達せず、本人は上手いと自負していても、
パートナーや見ている人からすると、お友達になりたくない
自称名人も多くいます。
社交ダンスは、対人的にコンタクトをしますから、足形や
上体の形以上に、人としての身体の機能を感じるものです。
人の身体として、生きて生活していく上で自然な身体は
コンタクトすると、お相手は非常に気持ちよく感じ、
見ている人は親近感を覚えるものです。
どんなにテクニックを知っていても、運動能力が有っても
頭の中の記憶を再現している様な踊りは、パートナーも
見ている人も違和感を覚えるのです。
素晴らしい踊りをしている様に見える競技選手にも
記憶したステップや運動表現を外見的に作りながら
踊っているペアが多く見受けられます。
同じような踊りをする仲間同士では、称えられても、
ダンスを知らない一般の方や、身体の中の自然な動きを
知っている人からすると、非常に不自然で、引いてしまう
近寄りがたい踊りとなってしまいます。
問題は、外見的な事より、社交ダンスの本当の楽しさと
喜びをお互いに感じられなく、いつも、習った技術や踊りに
追い立てられるような、安らぎも安心感も感じられない
ストレスしかたまらない踊りになってしまう事です。
本当に上手な踊り手は、誰と踊っても、身体の中から
感情を伴った運動表現を相手に伝えることが出来、
簡単なっステップを踊っても、豊かな気持ちが伝わり
一緒に踊っているお相手も、見ている人も、
幸せな気持ちになるのです。