どれだけ相手の事を想えますか? | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

結婚生活や同棲生活と社交ダンスはよく似ていて、
二人がいかにお互いを良く知り、相手が一体
何を求めているかを理解していないと、様々な
トラブルや行き違いを生じるものです。

御互いを求め合う蜜月期間は、相手の事を
全て受け入れ肯定する事で大きな満足が得られ
相手が喜んでくれることに多大なる喜びを感じます。
しかしながら、そんな時も、あっという間に過ぎる事が
現実であるとも言えます。

一番の問題は、相手は自分の事を解ってくれていると
過信してしまい、自分の行いは常に肯定される様な
錯覚をしてしまう事です。
これは、社交ダンスに於いて、男女が陥る、技術以上に
難解な問題でもあります。
自分の踊りを常に正当化し、上手く行かないのは、
相手の所為と考えてしまう事です。

特に、社交ダンスの様に、ルーティンが決まっていたり
男女の運動が分類化されているスポーツは、御互いが
自分のノルマに集中して、相手の事が考えられず、
音楽を自分の感覚だけで表現しようとしてしまいます。

その為、自分の技術を増して、一生懸命頑張れば
社交ダンスが上手に踊れると確信してしまいます。
この傾向は、かなりキャリアの有る方や、競技会や
デモンストレーションが踊れる程の方々に多いです。

御互いに、一生懸命頑張っているのですが、いつも
ギクシャクとして、踊りが硬く、二人のハーモニーも
生まれません。
大切な事は、二人が知り合った時の様に、御互いが
相手の事を気づかい、自分のテクニックが相手に
どの様に伝わっているかを常に考える事です。

自分が相手に、どうして欲しいと伝えると同じく
相手はどの様にして欲しいかを常に考える事が
より技術を増し、二人の表現を美しくしていく
大切な要因でもあります。

今の世の中は、昔と比べ、個人の主張がはっきりして
誰もが、思いを人に伝えるべく言葉や態度で示します。
しかしながら、ボールは投げても、受けられない人が
非常に多くなりました。

踊れない人たちは、心と技術のキャッチボールが出来ず
御互いに自分の考えを相手に投げつけるばかりです。
競技会等を見ていると、近年のダンスは、より華やかに
スピーディに成って、見ている人を驚かせますが、
御互いにボールを投げつけ合っているようなペアが
多くなりました。

踊としては、男女の表現になっているのですが、
御互いに相手の気持ちを受け取っている、一体の姿が
少なくなっているのが残念です。
今の社会思想を反映しているのかも知れませんが、
相手の事は構っていられないのかも知れません。

社交ダンスは、どんなに表現が派手になっても、
ドラマチィックに演出される様になっても、根本は
二人が作りだした男女の喜びと美しさが重要です。

沢山の技術を身に付け、足型を間違わないで踊れても
二人の心が感じられないと、まるで、行き交う街の
通行人を見ている様で、何の感動も生まれません。
社交ダンスの技術がどんどん発展して、見せる表現も
煌びやかに成って来たからこそ、二人の存在が
より一層大切と成るのです。

衣装だけが踊っていたり、ルーティンの素晴らしさばかりが
目に付いて、一体だれが踊っていたのか思い出せない
観終わっても何も感動が残らない踊りでいくら競っても
人生の喜びも生きる糧も得られないのです。