オリンピックの追加競技候補が決まりました。
残念ながら、社交ダンスは、全く候補すら上がりません。
私が、プロの選手になった頃から、近い将来社交ダンスは
オリンピックの種目と成り、世界中から注目される、
一大スポーツとして認可されると聞かされていました。
その為に、様々な運動が行なわれ、多くの人々に
社交ダンスの素晴らしさを訴えたものでした。
しかしながら、オリンピック種目にならないどころか
人々に認知されることなく、時たま、芸能人によって
面白おかしく取り扱われる程度にしかなりませんでした。
一体何が、それ程にも大衆に受け入れられないのでしょうか。
社交ダンスという言葉が増々遠のいていく様です。
プロの世界は相変わらずの内紛だらけ、選手はその中で
振り回され、社交ダンスの芸術性、大衆性、スポーツ性とは
程遠い、利害の団体の集まりとなってしまいました。
本来、社交ダンスは、プロアマといった枠組みで楽しむもの
ではなく、人々の心に共通の、人間的な繋がり、思いやり
癒しと言った、世代も地位も人種も、全てを越えた、共有的
喜びであったはずです。
そこには、御互いに、マナーが在り、音楽の中で培われる
人としての暖かい繋がりが有ったはずです。
ところが、そこに金銭的関係が強くなるにつれ、本来あった
社交性もマナーも無くなり、単に、金銭授受の為の道具に
使われる様になったのです。
素晴らしいデモンストレーションも、華やかな競技会も
その裏に渦巻く欲の戦いが、今だ絶えないプロの中の
ドロドロとした現状が内紛の原因でもあるのです。
競技選手も一般の生徒も、社交ダンスに対する崇高な
志とは裏腹に、これを利用する人々によって、本来の
社交ダンスの大切なメンタルな部分が次第に薄れ
権力闘争のみが目立つ、醜い団体としか映らないのです。
社交ダンスのプロとして、本当に悔しく、こんな事で、
将来を嘱望される有望な選手や一般の方々が、
社交ダンスから遠ざかって行くのが残念です。
しかしながら、私が、プロの現役で選手として踊っていた時も
その内訳は今と変わらず、そう考えると、やはり、世界の人が
オリンピック種目として認めてこないと言ってもしょうがないと
しか言えません。
とは言うものの、今や、子供達が教育の場でダンスに関わり
踊る楽しさを感じられる様になって来ました。
社交ダンスが、こんな子供達の心の中に入り込めるよう
私達ダンスに携わる者としては、より一層、自分の事だけでなく
未来の日本の事を考えて行く事が大切と思われれます。