都市と地域について考えてみた | Fishfunkyの ギガアジ バチコン 最前線

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バチコン・アジング専門。テラアジ(50cm以上のアジ)を狙います!2015年8月初のテラアジ50cmゲット・11月2本目の50cmゲット!2022年3月テラアジ2連発ゲット!6月さらに1本!2023年3月3本を追加し、10年で8本のテラアジを釣りました。

fishfunkyです。

漁港の立ち入り禁止や駐車場の閉鎖など、近年、様々なディスコミュニケーションが起こっています。そこで、都市と地域のコミュニケーションについて少し考えてみました。

 

 まず第一前提として都市と地域は、お互いに日本という国で日本語という言語を使って思考しています。ただ、同一の国で教育を受け、同じ言語で様々な論理を展開していることがあっても、地域によって歴史によって培われてきた思想、経済の成立基盤や交易圏、宗教や教育による様々な考え方、さらに世代によって偏りを持った価値観や礼儀・儀礼、ジェンダー思想など、地域社会を構成する様々なものが食い違うことが多いということです。もちろん娯楽に関する受け止め方や価値観も様々な地域、様々な都市それぞれにバラエティに富んだ違いがあります。さらに戦後日本の極めて短期間に変化してきた世代間の思想・価値観のバラエティを加味すると無限のバリエーションが存在し、むしろコンセンサスや共通点を得ることに絶望するしかありません。つまり、最初から都市と地域のコミュニケーションの成立は極めて困難ということです。
 

 しかしという反論もあるでしょう。それは、これまで都市―地域は現実的にはコミュニケーションをしてきたではないかという意見です。もちろん、この反論は正当です。それは経済・物流や政治などにおいて、都市と地域は相互依存せざるを得ないからです。生産と消費、周圏論などに代表される都市文化発信と受け皿としての小盆地宇宙である地域、労働力の供給と仕事の提供など、社会活動を展開するためにはコミュニケーションを避けることはできないからです。このように第2の視点として都市―地域の相互依存性を指摘することができます。
 

 ではなぜ、このような一見すると二律背反する存在の仕方が継続してきたのかという疑問が生じます。これまで、都市と地域の中間には「仲介者」が存在したのが答えの一つです。都市の経済・価値観・エネルギーをコントロールしながら、地域のルールや文化、しきたりにソフトにアプローチする。経済格差や時間進行速度の相違なども吸収していました。このような仲介者は歴史的に様々な業種の中に存在し、都市と地域のコミュニケーションをスムーズに取り持っていたのです。ただ、大変残念なことに「仲介者」は消滅しつつあります。自動車の一般化と情報社会の到来によって仲介者の役割は不要なものに見えたのです。インターネットと自動車のおかげで、ダイレクトな都市―地域コミュニケーションが可能になりました。さらに高速道路と光ファイバーによる物理的・情報的なコミュニケーションの高速化が図られ、都市と地域の空間的距離が大幅に縮まりました。これは「夢の未来」の到来ではないかと誰もが思ったことでしょう。しかし現実は違いました。仲介者不在のダイレクトな価値観や思想のぶつかり合いが生じ始めました。企業活動のみならず、レジャーや趣味の世界にまで、この不協和音は拡がっています。相互に自分の思想や価値観が正しいと信じていればいるほど、その自信が揺るぎないものであるほど、不協和音は厳しい響きになるでしょう。


 では解決の方法は存在しないのでしょうか?そんなことは無いと信じたいです。まず第一に「新しい仲介者」の誕生を期待します。都市と地域の双方の言い分を理解し、翻訳できる人々。具体的にそんな人々が活躍している地域もあります。それは地域にUターンしてきた人。都市の思想・価値観を理解し、地域のルールや人間関係を持った人達です。
 

 さらに最も基本的なコミュニケーションの態度としては、都市生活者も地域生活者も、お互いに異邦人であるという自覚を持つことでは無いでしょうか?まずは自身の価値観を冷静にかえりみ、他者の思想を理解しようとする姿勢。そうやって他者を慮りながら自身の行動規範を再構築することにより、都市―地域コミュニケーションの新しい可能性が見えてくると思います。

 

 なぜなら都市と地域は、結局のところ相互依存せざるを得ないのですから。