長い間ブログを更新しなかった。
その間には様々なことがあった。
うれしいこともあったしつらいこともあった。そして何よりもあの日があった。
そのとき僕は、一足早く卒業してしまう研究室の同期と千葉の牧場にいた。
まず、建物の電気が落ちて、揺れを感じて、慌てて外に出ると、ものすごく大きな揺れで立っていることも困難だった。
目の前にある観覧車は尋常じゃなく揺れていて、普段決して涙を見せない人が泣いていた。
普通ではない状況になったことを理解するのには充分だった。
決して、自分や、自分の周りの愛すべき人々が直接的に失われたというようなことは無く、そのことに強く感謝した。
しかし、その日からすごく大きな何かを失ってしまった気がしていた。それが何かは分からないけれど、無防備に日常を楽しんだり、笑ったりしてはいけないような気がしていた。
ブログを書きたくないと思ったのもそれで、震災直後の感情を記しておくことはきっと見直した時にとても重要なんだろうと思ったけれど、安易に怒りや悲しみや呆れや弱みを吐露してはいけない気がしていた。
震災が直接的なきっかけとなったわけではないけれど、論文は「茅葺き」で書いた。住み手が住み手自身で手を加え、維持しながら使っていける建築を考えたかった。
茅葺きの論文というと、歴史系の保存の話か、集落の話が多くなってしまうのだけれど、「20年に一回は手を加えなければならない茅葺きを、どのように“使いながら”残していけるか」をテーマとした。
まず、ひたすらに、現在茅葺きを「使っている」(住んでいたり、一棟貸しにしたり、レストランにしたり、ギャラリーにしたり…)方(オーナーの方)にインタビューを行った。
その中で震災の話もたびたび出たし、茅葺きの話をしていても結局はそこに至る思想、考え方の話になっていって、そういった人生の先輩の考え方を聞くことが、とても楽しく、人生や現在や震災後を考えるきっかけになった。
震災後、社会は変わるのではないかと思っていた。しかし、フィジカルな面では何も変わらなかった。
結局、夜は明るいし。
変わらなかったというよりも、変えられなかったのかもしれない。もちろん、まわりには原発に反対表明をした人もたくさんいたし、安全を第一に考えたいし、これから子供を作るであろう身としては出来るだけ遠くに逃げていたかった。
けれど、積極的に反対運動をしたり、デモに参加したりということはしなかった。それは冷めているとかそういう話ではなくて、本当に何を信じれば良いのかが分からなかったということだと思う。
分からないから、決定を下さないというのはダメなことだと思うし、それは一番自分が嫌っていたことだった。でも、あの時は本当に分からなかったし、今も分からない。
ただ、一つ思うことは、要求にあわせて電力を増やしていくのではなく、供給できる電力にあわせて使う量を決めていっても良いのではないかということ。
話を戻すが、フィジカルな面では変わらなかったけれど、皆それぞれの心の中ではあの日以降、大きな変化があったと思う。それがいつまで残っているのか、今も残っているのかは分からないけれど。
1年経って、皆解き放たれたというか、普通になっている気がする。例えば桜の季節にはさんざん騒いでいる人がたくさんいたし。
いつまでも、感情を解き放つことを自粛する必要は無いと思う。また、無邪気に楽しんでいるように見える人たちも、本当は心の奥につらいことをたくさん貯めていて、それを見せないように必死で頑張っているのかもしれない。
分からないけれど、僕自身にとっては本当に大きな大きな経験だった。
そして、そういうことをまた思ったのは社会人になったからかもしれない。
いわゆる一般企業に入らなかった僕は、厳しい道を選ぶこととなった。
けれど、それは自分が選んだ道だった。
武器を何も持たずに、かろうじて大学時代の経験という防弾チョッキだけは身につけて、戦場の最前線に放り込まれたような気持ちで、プレッシャーも半端ではないし、怒られることも多い。
けれど、お施主様の顔を見ると絶対にやり遂げなければならないと思うし、何があっても適当なことは出来ないと思う。
それに、甘やかされていないのは期待されているからで、お客様扱いをされるよりもよっぽどありがたい。
建築を作るとは、どれだけ細かいところまで気を配り、細かい納まりを美しく解いていくかだと思っていたし、そういうことを学びたいと思っていた。実際に現場に出ると、それは想像以上で、気を使わなければならないところはびっくりする程多いし、今まで全く気に止めなかったところを、みんな気にして作っているのだということも分かった。
怒られる(注意をされる)のは、気が利いていないからで、注意をされればそれだけ自分のセンサーの感度が良くなっていっているわけだから、自分にとって間違えなくプラスであるし、そこまでやるのっていう程、細かくやるこの事務所に入って本当に良かったと思っている。
早く認められたいし、こちらから動いて、結果を出していかなければと思う。
学生時代にイベントを企画したり、実施工事を行ったりした経験は確実に役に立っている。
そして当時は、工程や予算に関して、誰よりも心配性で細かくやっていたよなと自負できたことが、これからもなんとかやっていけるかもしれないと思わせてくれた。もちろん、社会でやっていく為にはそんなもんではまだまだ足りないと痛感させられたが。
心配性な性格は心を圧迫し、自分を苦しめる。ただ、何も気づかず、気づいても適当でいられる人よりはよっぽどこの仕事に向いていると思う(実は今もすごく不安なことがある。そういう心配事を抱えたまま、連休を過ごしている。すっきりしないし、良くないよなあ)。
苦しい時はたくさんあるし、作業が自分の思っていた通りに進むことなんてほとんどない。でも、やっぱり、施主さんの顔を思い出すと、適当なことは出来ないし、投げ出してはいけないと思う。
それに誰にも負けたくないのだ。
「建築をやる」と決めた心を貫かなければならない、なんとしても、と思う。
でね、なぜだか最近泣きそうになることが多い。自分のふがいなさに泣きたくなることも多いし、突き放されているようで、本当はすごくすごく守られていると感じた時に泣きそうになることも多い。いつまで守ってくれるのかは分からないから、早く結果を出さなければと思うが。
それから、早く両親に迷惑をかけないようにしなければとも思う。
いろんなことを不安に思い心配してくれている。ポルトガルの時と違い、こちらの暮らしぶりが何となく分かってしまう距離だからこそ、非常に不安になっているんだと思う。これに関しては申し訳ない気持ちしか無い。
それから、この連休にはいろんな人にあえたし、これからあう予定もある。
その中でね、すごく優秀な友達にあったら(仕事の内容は違うのだが)、そいつも会社に入って最初に仕事を任された時とか、重要なプレゼンの前とかはすごくつらくて、仕事が楽しいとは思えなかったし、気持ち悪くなったっていってたし、今施工管理で現場に出ている友達もすごくすごく大変そうだった。
みんな頑張ってるんだって分かった。みんな、そうやっていろんな気持ちを抱えながら必死になってやってるんだって。
自分だけがつらいと思っていたのがバカみたいだった。でもみんなに「死なないようにね」っていわれたけれど。やっぱり労働時間は長いし、給料は安いからなあ(笑)
でも、本当にこの仕事を死ぬ気でやりたいと思っているし、早く家に帰ってきてもだらだらテレビを見ているんじゃ意味ないと思うし(もちろんそうじゃ無い有意義な使い方をしている人はたくさんいると思うけれど)、そうやってだらだらしているんだったら、その分必死に働いていた方がどれだけ幸せかって思う。なんだか無駄な時間を過ごしちゃったなって思うより、限界までやって、ぐっすり寝て、また頑張る方が良い。その方が明日死んでも悔いは無い。
そう思っているから、休みの日もじっとしていられずにいろんなところに出掛けてしまう。美術館にいったり、ショッピングにいったり(お金がないからほとんど見るだけだが)、大切な人達にあったり、そして、なんといっても建築を見たり。
ボスから、いろんな建築の話(特に納まりの話)を教えてもらい、そういう視点で建築を見るとまた面白くてね、拠点が東京だと何処へでもすぐに、メトロに乗って安くいけるから良い。
で、歩き回って、建築や美術や街や、あらゆるものに刺激されて、本当に満たされて帰ってきて、飯つくって食べて寝て、また仕事にいくと、心は回復しているんだけれど、体に疲れが残っていて、「あれ?」ってなる(笑)
それでも、休みの日は今後も心の充足をとるね。その方が幸せだから。
寝ても覚めても建築で良いし、そんな幸せは無い。町じゅうのあらゆる刺激が建築に還元されていけば良い。
ここまでの文章を読み直して、自分の為にブログを書いているんだなって改めて思った。
いろんな気持ちを吐露したらだいぶ楽になった。
これからきっともっともっとつらいことがたくさんある。そして同時にうれしい瞬間もあるはずだ。
つらくたってやり遂げるしかない。
甘えてちゃいけない。
無理してでもやろう。
圧倒的に建築の才能があるわけじゃないのだから、しつこくしつこくやっていかなければならない。
留学している時も、他の人よりも仮に優れているところがあれば、それは粘り強さや努力する才能だと感じていたし、そこを放棄したら自分からは何も無くなってしまう。
もっと強くならなければ。
頑張ろう。