女の子 | 断片の集積

断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

みたいなブログでも書いてみようかと。


今日寮費を払いに行き、そのついでにCCB(ベレン文化センター)内にある現代美術館のミュージアムショップに行った。


そして、前から欲しかった手帳を買った。

手帳って今までもったことがない。

養老さんが「予定の決まっている未来なんて未来じゃない」って言ってたし。

というか、まあずぼらなだけなんだけれど。 でも、頭の中に入る範囲の未来だけを決めて後は風任せに生きるのって結構心地よいものだ。周りの人は迷惑だったと思うけれど。


で、手帳。手帳って自由を奪われる気がしてもちたくはない。だから買うまでずっと葛藤があった。

でもこれは手帳じゃないんだって云い聞かせることで購入した。

大きくて手帳として使うにはどう考えても適していない。後ろのPCと見比べてもその大きさがわかると思う。
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ではなぜ買ったのかというと、一ページ(8日分)ごとにいろいろなアーティストのきれいな絵や写真が載っているからで、それとともに英語とポルトガル語で一言フレーズが書いてあるからだ。
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ブログを日記にしようと思っていたのだけれど、毎日書くことは不可能だし、この手帳も手帳としてというよりは日記のような感覚で使っていければよいかなと。


それと、今寮にカレンダーがないから授業がなくなると時間の感覚が著しくひどく曖昧になってくるし、そういう意味でも何かしらの手帳的なものの必要性は感じていたしね。


とにかく、今年はこの手帳と生きていく。ちょっとした出来事や感じたこと、見た建築や行った場所を寝る前にさらっと書いていければいい。


で、さっき手帳について少し書いたけれど、手帳を持つって大人になるってことの象徴のような気がする。それはもちろん良くない意味で。

手帳を持つ=予定がfixされる=自由が奪われる=子供じゃなくなる / 

手帳を持つ=予定をちゃんと覚えておく=人に迷惑をかけない=人に迷惑をかけてはいけない状況にいる=子供じゃなくなる


沢木さんは大人になること=自分の手で自分もしくは自分の愛するものに保険をかけるとき と書いていた。それを読んだ時(高校のときで手術後のベットの中だった)は妙に納得したけれど、海外旅行の時は必ず保険に入るし、それについては何の感情も持たない。まだ長期で何かに保険をかけたことはないからわからないけれど。


それよりも僕の中では手帳を持つ=子供じゃなくなる=(?)大人になる っていう感覚のほうが強い。


まだ大人にはなりたくない。


僕は今日手帳を買った。でも多分まだ大人にはなれない。手帳は手帳の役割を果たさず、まだもう少しの間は頭の中に入る未来だけを予定して生きていく。まだまだみんなには迷惑かけるだろうけど構うもんか。


「手帳を買った」なんて女の子っぽいかと思ったけれど、全然そんな風にならなかったなぁ。


それと、ラーメンズはすごい。「お笑い」っていうジャンルを超えた別の次元にいる。


それから、今日今にも雨が降り出しそうな空の下、バイシャからコメルシオ広場へと抜ける細い道を通るバスの中で何も考えずに「からの心なら ただの体なら 馬鹿な僕らなら 何処へでも行けるだろう」って口ずさんだけれど、改めてすごい歌詞だなと。手帳を持たないことに対する僕の持つ憧憬(憧憬という言葉はおかしいかもしれないけれど)みたいなものってもしかしたらこういうことなのかもしれないと今また感じた。なんで急にあのときこのフレーズを口ずさんだろう。