火曜日に予定通り授業の一環としてコシェ(馬車)の美術館へ行ってきた。ここはベレンパレス(現在の大統領の別邸)の一角にあるのだが、そのはす向かいの軍事施設跡への移転が決まっており、来年のオープンに向け計画が進んでいる。後期の僕らの設計課題はこの美術館の設計となり、ただ敷地は現在の課題のベレンモニュメンタルエリアの中で自由に設定してよいとなるよう(状況はどんどんと変化するので確証はないが)。
話し好きなおばさんが延々と説明してくれ、コエ―リョも飽きている。
パリからの先生も一緒に行ったので、僕はパリの先生とセルジオの近くに常にいるようにして、セルジオに英語で通訳してもらう。そのおかげでいろいろと情報を得ることができた。たとえば、リスボンに住んでいるポルトガル人は誰でも幼い時に学校の勉強でここを訪れるということ(現にこの日も幼稚園生くらいの子供たちが手を取り合って見学にやってきた)、美術館内で火事がもし起きたら馬車すべてを救出するのは不可能だということ、馬車だけではなくフェイクの馬も一緒に展示したほうがよいこと(子供たちはどうやって動くの?モーターはどこについているの?と質問するという。僕らが見ても馬車をひくのに馬が何頭必要なのか?馬と馬車はどうやって接合されるのか?などはよくわからなかった)、昨晩この馬車たちの間にテーブルを出してポルトガル大統領と南アフリカ大統領との会談・会食が行われたということ、屋根瓦が熱を吸収してしまい、その下に断熱材が入っていないため夏の暑さがひどく、馬車の木が収縮して壊れてしまうこと(現在は空調で守られているが、一年目の夏は悲惨な状況になったらしい)、新しい美術館の計画は1Fがピロティで2Fにコシェがガラスケースに入れられあたかもアクセサリーのように展示されるのだが、説明してくれた彼女はコシェがガラスケースに入れられてしまうことや、そもそも移動手段であるコシェが地面から切り離されて展示されることに疑問を感じていることなどだ。
個人的には暗い大空間の中にコシェが整然と並んでいるのは、子供のころにテレビで見たアメリカの古い自動車倉庫を思い出させた。その映像を思い出すことなんて今までなかったのだけれど、子供のころに夢見た理想空間であるそこは、僕の中の核になっている大事なものである気がして、体からふっと気負いが抜けた気がした。なぜだかはわからないけれど、そうやって昔の僕が今の僕を助けてくれるときがたまにある。小さなころは今以上に車が好きだったのだ。
それから、これらの馬車はどういった空気の中で見るかによって大きくその印象は変わってしまうなと思った。それはただ単純に明るい光の中で見るか、暗い光の中で見るかによって馬車の装飾の金の光り方が変わるということだけではなく(暗い光の中では歴史の重みを感じさせる金だが、明るい光の中では装飾過多に感じる)、現在の美術館のような停滞した空気の中で見ると馬車は歴史的記念物としてとらえられるが、もし、たくさんの光に満ち溢れたフレッシュな空気の中で見たら、馬車はまだまだ現役の「生きたもの」として感じることができるのではないか。そして、その両方の空間を作って馬車を展示してやること、また可能ならば一年に一度くらいは実際に馬車を動かし、ベレンをパレードし、それも展示の一部とするべきではないかと感じた。
馬車博物館はエントランスも小さくて分かりにくいし、明確なファサードも持っていないけれど、中に入ってみるとかなり面白い空間が広がっている。もし、ベレンを訪れる機会があったらぜひ足を運んでみてはどうだろうか。
それから、昨日はプレゼンがあると思って大学へ行ったら論文のエスキスが全員分終わらないため(ポルトガル人の学生はこの論文、といってもA4で5枚の簡単なものなのだが、の提出が来週の月曜に迫っており、これを出さなければ卒業できないのだ。僕らもこの論文を書かなければならないのだが、卒業とは関係ないので、期限は決めないとコエ―リョは言った。そしてこの論文はそこまで大切ではないとも言った)、プレゼンは来週に持ち越しとのこと。で、すでにエスキスが終わった何人かの奴らが「寿司」を食べに行くから一緒に行こうと言う。また冗談だろ?って聞いたら、これは本当だと。だまされたつもりでついて行ったら、2台の車に分かれて本当に寿司バーにたどりつく。10ユーロでバイキング形式で食べ放題、寿司のほかに餃子、春巻き、焼きそば、チャーハン、海老フライ、天婦羅、鳥の照り焼き、焼き鳥、味噌汁などがあり、そのほかに生の肉やエビ、イカ、サーモンなども置いてある。これらは皿にとって持っていくと鉄板で目の前で焼いてくれる。予想通り中国人による日本料理で寿司はそこまでおいしくなかったけれど、餃子や春巻きなどの中華料理や鉄板焼きはおいしかった。それから、やはり味噌汁がうまい。安い旅館の朝食みたいな味だったけれど、味噌汁を飲むと体が温まって、心が穏やかになる。日本人でよかったって思った。
最後にひとつ。リスボンは冬になって雨期になり、緑が青々と茂り始めた。落葉樹は葉を落とし始めたのだけれど、地面が今まで荒れ果てた大地のように土が表出していたのが緑の草で覆われ出したのだ。そして、スタジオの奴によれば春になるとこの緑は一斉に黄色い小さな花をつけ、あたり一面が黄色く染まるらしい。きっととても美しいのでしょう。そして桜が日本に春の訪れを告げるように、その小さな黄色い花たちがリスボンに春を伝えてくれるのだろう。
おばさんの説明を聞くクラスメイト達とこの美術館で最も古いコシェ(1619年に作られた)。


