いくつかのこと | 断片の集積

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主にポルトガルでの生活について

昨日の朝のブログはだいぶキレているというか感情的なものになってしまったけれど、そういう怒りもちゃんと記憶にとどめておきたいと思う。そして、そういう気持ちが高ぶったときのこ言葉の方が飾っていなくて本心を表していると思う。


さて、今日は珍しい平日ながらオフの日であり、時間がある。いくつか振り返って感じた事を書いておく。


まず、京都について。今回の課題で京都についてある種強制的に調べることになったけれど、京都を調べてみるといろいろと面白いことが分かった。京都は周りを山に囲まれており、その山を精神的なシンボルにして、そのふもとに寺院や神社が建ち並んでいる。この市街地を囲む山と、寺院によって京都はスプレッドという普通どこの都市でも起こりうる発展の仕方がなされていない。リスボンにしてもウィーンにしてもそうだけれど、リスボンはテージョ川に面したコルメシオ広場・バイシャ地区から、ウィーンならシュテファン寺院から(いろいろ紆余曲折は経たにしろ)周辺に町が広がって行くというプロセスがあるけれど、京都は決められた巨大範囲の都市(平安京)がまずあって、その周辺に山を背にした宗教エリアができたせいで、すべての変化は、もともとの平安京の都内とほとんど変わらない範囲で起きている。極端な言い方をすれば、ヨーロッパは積み上げていく都市で、京都は壊していく・変えていく都市と言えるかもしれない。そのなかで、main axis(英語を使ってしまった笑 留学して海外かぶれになってると思われたくないからあまり使わないようにと思ってたんだけどな笑 だってこれ訳しにくいでしょ 主要な軸か?)が時代とともに東側にずれていくのが面白い。きっかけは白川ができたことだと思うが、最初は都の端の仕切りのような存在であった鴨川の存在が徐々に重要になっていく。鴨川の東側の宗教エリアは、秀吉により御土居で区切られ(これはそのときすでにいくつかの寺院がかなり巨大な権力をもっていたことを表している。つまり、当時は東山地区も京都において政治的な面でも重要地区であったということ)、大正初期はまだ、割と郊外であったけれど、現在の世の中のように観光が経済の重要な要素になってからは、その存在価値を高めている。今後main axisが現在の京都駅・東本願寺から御所をつなぐラインよりもさらに東側になる可能性もないとは言えないだろう。

また、京都駅が北側に開いていて、南側に閉じているように感じたこと、京都駅が南と北を分断してしまっていることについて京都に行くたびに疑問を感じていたけれど、歴史を見てみると、東寺のラインよりも南側に重要な政治的機能やらなんやらが発展したのは鳥羽離宮ぐらいなもので、京都はもともと、平安京のエリアとたがわぬ区域の中で発展してきた街であるから、南側をあえて分断し、南を住宅地、北を市街地と明確に分断する必要性があったのかもしれないともこの課題を行って思った。


京都とニューヨークを比較してみると、似ているところも違っているところも山のようにあって面白い。そこまでプレゼンでは言及できなかったのが残念であるが。

まず似ているところから。グリッドでできているということ。京都の人口集中地とニューヨークのそれの人口密度がほぼ同じであること。郊外への発展ができないこと(京都はさっき述べた通りの理由で、ニューヨークは川にかこまれた島である)。モニュメントが遠くから見ると集合体、近くづくと特定の何かしらで把握されるということ(京都は遠くからでは山の連なり、そこにいる神々とそれを祀る神社が一体で把握され、近づくと寺院の中の塔やら金堂やら特定の建物がモニュメントとなっており、ニューヨークは遠くから見るとスカイスクレーパーの集合体がニューヨークをニューヨークたらしめていて、でもそのスカイスクレーパの足元に入っていくと、モニュメント性を持っているのは特定のいくつかの建築だけである)など。

違っているところ。違っているところは多すぎるけれど、大事なものをあげると、モニュメントが京都は自然物で、精神性によるのに対し、ニューヨークは人工物で、そこに入っている機能の重要性(ともちろんデザインや歴史)によっている。京都は歴史が残っている場所もあるが、長い歴史のほとんどは変化により失われ、新しい歴史がその上に積み重ねられ、また様々な歴史が都市の中で混じりあっているのに対し、ニューヨークは各時代を反映した地区が今でも道路パターンとしてそのまま残っている。京都のモニュメントは中心街の外側にあり、ニューヨークは中心街がモニュメントとなっている。つまり、モニュメントに対する視線が、京都は町から外側にある山へ(内から外へ)なのに対し、ニューヨークは川の外の街もしくはセントラルパークから街へ(外から内へ)となっている。

ざっとまあこんな所か。


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ラ・ヴィレットの先生に向けてのプレゼンの様子。収穫はほとんどなかったと思うけれど、彼は日本に長く住んでいたらしく、モニュメントが自然に隠れて見えないという日本の精神的なモニュメントというものを理解してくれ、他の学生に、これからモニュメントの課題をやっていく上でこういう、見えなくともモニュメントになりうるという話が出てきたことは重要と言ってくれたこと、中心にあることとモニュメンタルであることは決して同義ではないと言ってくれたことはよかったか。それから、現在のニューヨークにおいて、失われたWTCが何よりも重要なモニュメントになっているという話が出て、ハーヴェイのことを思い出した。僕はせっかく日本でハーヴェイのことを学んだのに何をやっていたのだろうと反省した。その話は僕らから提示しなければならない話だったと。モニュメント性を考えたときに、WTCの“失われたからこそ、更に重要度が増す”モニュメント性という特殊性についてはニューヨークをやるうえではまず第一に取り上げなければならない話だった。おしい事をした。かなり悔やまれる。


「私たちはグラウンド・ゼロの関係性を表す観念やデザインとして何が最適かを際限なく議論できるだろうが、いずれは絶対的な空間と時間において何かが物象化されなくてはならない。いったん建てられてしまえば、この場所は物理的形態という「恒久性」を獲得する。」 デイビット・ハーヴェイ ネオリベラリズムとは何か


ハーヴェイの絶対的・相対的・関係的の話は面白かった。特に関係的の、あったものがなくなる、見えていたものが見えなくなるといった、ある種変化に対するセンチメンタリズム(のように俺は感じた)を伴った、その考え方が面白かったな。関係的な空間を恣意的に作ることはできない(それは人の心によるところが大きいから)けれど、光のイルミネーションのような可逆性をもったデザインならば人々の心に関係的な影響を与えることができるのではないか、他の人を傷つけたり、変化に対するセンチメンタリズムを伴わずに、って俺は考えてたんだな。懐かしいな。でもあれって意外とまだ半年も前じゃないんだよね。歳をとると一年一年がものすごく速いのにもかかわらず、ちょっと前のことがものすごく昔に感じられる。なんでなんだろうこれは。俺だけかな?


さて、話は変わって、慣れるってのは怖いことだね。まず、日本を発つときはあれだけ犬と10ヶ月も離れることに対して抵抗があったし、不安もあったけれど、今はなんだかずっとこのままポルトガルで生きていける気がしている。この間、大学の学食で周りが全員外国人のなか、一人で飯を食っていて、その状況が全然おかしくなくて、もう本当に当たり前のものとしてとらえている自分の心に気がついた時に慣れの怖さを感じた。まだ、一ヶ月しかたっていないのに(そういえば今日でちょうどポルトガルに着いて一ヶ月である。まだまだ始まりの気がしているけれど、もう10分の1が終わったと思うと、一日一日を無駄にせず大切に過ごしていかなければならないと思う)、ここに住んでいることが当たり前、この寮こそ僕の家という気分。慣れることによって当初感じていたいろいろな大事な思いをなくしちゃいけないとも思うし、同時にもっともっと、心の中から髪の毛先までポルトガルに染まらなければならないとも思う。一つだけはっきりしていることは、どこにいても僕は僕だから、自分の意思をしっかり持っていかなければならないってこと。


他にも何か書こうと思っていたことがあったけれど、忘れたのでとりあえずこの辺で。そういえば、ポルトガルはマルタに4-0で勝ってプレーオフ進出を決めた!ひとまず安心。プレーオフの相手がどこなのか僕はまだちょっと把握していないけれど、何としても勝ってほしい。それから、ぜひホームはリスボンでやってくれ。見に行きたいから。めちゃくちゃ盛り上がるだろうな。建築やってサッカーみて、フットサルして、飯作って、ビール飲んで、音楽流しながら女の子の話して、週末は旅行する。それしかないけど、それだけあれば人生で必要なものは全部そろっているよね。あ、あと人生には本が必要だ。最近全然ペソア読んでないし、ポルトガル語の勉強もしていない。やばいなぁ。