久しぶりに | 断片の集積

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日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

今日は取り立てて何もなかった(シアードに行ってみていなかったいくつかのカテドラルを見、その広場の向かいで行われていた、リノベーションの現場を盗み見してきたが)ので書くこともないと思っていたが、いくつか覚え書き程度に書いておく。


明日から授業が始まる。早く授業を受けたくてうずうずしている。今日、若い先生に会って建築とアーバンの違いを尋ねてみた。彼はちょっと困った表情を浮かべて、「あくまでも僕の意見だけど」と前置きしたうえで答えてくれた。それは、設計プロセスにおける視点の違いの話がメインで、都市のほうがよりコンテクストを読み込むことを重要視するというような事を言っていた。つまり、逆にいえば、都市と建築にはっきりとここが違うという大差はなくて、アーバンをとっても2セメでは詳細図面とかも「もちろん書く」ていってた。それがどの程度詳細なのかはわからないけれど。話を聞いて思ったのは、それならなにも迷わずに最初から都市を選んでよかったじゃないかってこと。やっぱり去年の印象が悪すぎたからなあ。今年、僕が都市を選んでよい作品を作ってその印象を変えることができればって思う。


オリエント駅について何も書いていなかったので記述しておく。オリエント駅に行ったのはもう何日も前に感じられるけど、実際は4日くらい前か? オリエント駅は、僕の構築物の原点といえるもの。建築の原点は、叔父の山梨の家が設計士の手で作られ、何でもないけれど、すごく気持ちの良い空間が出来上がり、それを体験したこと。オリエント駅を“構築物”と表現したのは、最初に写真を見て感銘を受けた時は、それを建築として見ていなかったから。高校1年の時に、世界の駅・電車のカレンダーが僕の家にあり、そこにオリエント駅が映っていた。それを見たときに、強い光の中、白い砂、白いプラットホーム、白い木々のような構造物からなされたその駅を、「ここは一体どこなんだろうか」 「この白い砂がどこまでもずっとつながっているようだ」って感じた。なんだか、その写真ではプラットホームと線路の周りに敷き詰められた砂に段差がほとんどないように見えて、ホーム、白い砂、そして写真には映っていないどこか遠くの街がずっと一体となってつながっているような印象を受けた。そして、それが強く心に残った。

実際のオリエント駅は、地上からは切り離され、空中に浮いており、ホームには階段でアクセスするという形態で、僕が思い描いていたのとは違っていた。しかし、ホームと地下のメトロ、バスターミナルを結ぶコンコースは圧倒的で、構造体だけでここまですごい空間が作れるのかと感動した。友達は果たしてこれは構造体のみと言えるのだろうかと言っていたけれど、構造と装飾が一体となっていた時代から、装飾が奪われ、構造と機能が一体となり、装飾はあったとしても表層になり下がったという歴史の流れを考えれば、構造が機能のみならず、それ以上の形態としての美のようなものをまとったカラトラヴァの建築は、新たな地平にあるといってもよいのではないか。カラトラヴァって写真とか見てもそんなに好きではなかったけれど、実際の空間を体験すると圧倒される。もし、カラトラヴァってなんだかなって思っていたら、一度生の作品を見てから判断することを勧める。もちろん生を見なければ何も分からないってのは何事においても当たり前の事実だし、今書いたことは他の建築家についても同様だが、ここまで、圧倒されたというか、実際の空間と写真のイメージが違ったことは珍しいから、すごく興奮した。


今日久しぶりにあるブログを読んだ。リスボンに来てまでって思ったけれど、批判的~とかの理論は戦略であるとはっきり書いてあって、なんだかすっきりした。大事なことは何なのかって実はちゃんと分かっているのではって。でも、いろんな人のブログの内容を漁って批評してるのはちょっとなあ。もちろん、批判されることに対して、ディスっているのではなくて、ちゃんと伝わってなかったり、表層的な面しかとらえてないのにそれを批判しているナイーブな反応に対してディスっているんだけど。 批判的~については一回ちゃんと書きたいと思っている。どこに賛同できて、どこに疑問を持っているのか、批判的~をちゃんと批判しないといけないと思う。そうやって一度文章化しておくことが、たとえそれが自分の理解力不足を露呈することになったとしても、今後につながると思うので。いずれにしろ、この理論は僕の中では避けて通れない部分だと思う。読んでない人は、一応ちゃんと読むべきだと思う。個人的な意見としてだけどね。


最後に、このブログのことを誰にも言わずに日本を発って、リスボンにきた。そして、まだ誰にもブログを書いてることを伝えていない。それなのに一日、多い時で50以上、少ない時でも20強のアクセスがある。どんな人が読んでるのだろうか。どういうきっかけでこのブログにたどり着いたのだろうか。わからないけど、そういう、まあ、ある意味での出会いって本当に面白い。最初に意図した、僕とブログは一体なのだけど、パラレルで違った存在であるということの面白さをまじまじと見せてくれる。読んでくれている人、ありがとう。はっきり言って読んでくれている人のことをあまり考慮していない。あくまで、自分のために書いている。でも、アクセスがあると、書こうって気になる。本当にありがとうございます。