いろいろ考えたけれど、自分の気持ちに素直になることにした。僕は、歴史的な既存の都市とどのように関系づけて新たな建物を設計するのかということを学びたくて留学することを決意した。決して郊外開発とか、郊外問題を考えたくて来たわけじゃない。そう考えると、僕が選ぶべきは、アーバンのスタジオだと思う。もちろん、日本で縮小都市を考えるうえで、リスボンのような状況(人口は増加し続けており、郊外の発展が必要。でもこういう時代だし、ただ開発するんじゃなく、グリーンとかクリーンとかも考えなければならない)もあることを知っておく必要性はもちろんある。でもそれは、そこに課題で何かを設計することとは別の話だ。そして、去年までの敷地なら美術館のみならずどんな建築を建てても、ある意味説得性があったけれど、今年の敷地はそういうわけにはいかない。というかむしろ、都市のスタジオと建築のスタジオ、名前の付け方逆なんじゃないのかって思う。歴史的要素の多い、ベレンという観光地に、新たに美術館を設計するのは(その前段階でモニュメンタルという視点から都市計画を行うにしても)建築の課題で、一方、郊外の交通とかあらゆる点で重要な敷地に何かしらの建築を設計するってのは、そこに立つべき建築は限られてくるし、マクロな視点でその敷地をどうマネージメントしたらいいかを考えるのは都市の課題なのではないか。 最終的に建築のそのスタジオが何を設計させるのかはわからないが(人によって別々というのは考えにくい)、それがその土地に不適切だろって思うものだとしたら僕は意欲的に課題に取り組めないと思うし、そういう意味で、歴史を学んで、都市的なレベルでの再ゾーニングをして、最終的には美術館を造るってのはすごくわかりやすい。わかりやすすぎる分、それでいいの?とも思ってしまうが、その課題に対して疑問はないし、意欲的に取り組めると思う。ただ一つ心配なのは、そこが都市のスタジオであるということで、建築は1/2位の詳細図面まで書くのに、都市は都市だってことを免罪符にそういう部分がなあなあになったらいやだなってこと。でも、俺はそういうとこまでやりたいってことを主張すれば、やらせてくれるだろうし、都市にいるからこそできることもあると思う。日本にいるときだって、自分で動いて、先生とコンタクトをとって切り開いてきたと自負している。大変な境遇になったからこそ、そういう面で大きく成長出来たと思うし、行動力と無駄な自信はついた。始まってしまえば、ついていくだけで大変かもしれないけれど、今の時点では、モニュメントについても論文書けるくらい調べて、考えて、設計はもう一番とるぞぐらいな気持ちでやりたい。それから、リスボンの歴史地区の再開発における法規制とか、古い家々(アルファマ地区とか)の平面プランとかの測量調査とか、縦方向にどう住戸割りがされているのかとか、どのくらいのレベル(プアーorチープ)の人が住んでいるのかとか、保存の方法、特に地区全体としての保存の方法とかを調べてみたい。さらに、ヨーロッパの街って、こんなに立て込んでいるのにどうして息苦しくないんだろうか(都市の厚みがあるのにそれは息苦しさではない)とか、いろいろ調べてみたい。この10か月間を誰よりも有意義に過ごしたい。ただ、楽しかったで終わりたくない、リスボンの郊外開発時の都市レベルにおけるゾーニングの仕方について知りたい。同時に東欧とかに行って、減築の方法も学びたい。
やりたいことがたくさんありすぎて、それを全部こなすことはできないけれど、どちらかといえば都市のほうが余裕があるらしい(先輩いわく)し、そういうやりたいことを示せば、それができる可能性は広がる気がする。意欲的というのは大事なことだと思う。
それから、今日、本屋で LISBON Urban Atlas という、リスボンの56の地区(主に住宅地)についてかなり詳細な調査をした本を買った。45ユーロだった。高かったけれど、今後もずっと使う気がしたし、見ててわくわくしたからつい買ってしまった。その本を見ながらテンションあがっている自分が自分でちょっと気持ち悪かった。俺はいつから都市にこんなに興味を持つようになったのだろうか。歴史地区から郊外開発地まで載っていて本当に面白い。郊外開発の仕方ってもう少し何かないのだろうか。ほんとにいつも思うんだけど。都市のことをもっと知りたいと思う。都市についてもっと考えたいと思う。都市って何なんだ、って。都市ってどうやって存在していて、どんなきっかけで変わるのだろう。都市レベルで物事を見たい。建築は都市を変える力を持つこともあるけれど、建築はもっと都市に寄り添わなければならない場合のほうが多い。ただエゴで設計をするのではなくて、そういうかっこいい建築が必要な場所なのか、都市に寄り添う設計が必要なのかってことを見極めたい。なんだかんだ都市のことをもっと知りたいって思うのは、設計のためなんだって思う。でも、ある若手建築家のスタンス(メディアにもめっちゃでて、都市に対する論文も書いて(なんだかんだ批判的~とか変な~プロセスとか言ってるけれど、僕はあれは「都市に対してもっと主張したい、小さな事務所で設計してるだけじゃ小さな規模の単体の建築しか作れないけれど、日本では建築は一つ一つ独立しているものだけれど、みんながもう少し、都市のことを考えて、既存の都市に寄り添ったら、もっと良い街並みが形成されるだろ」っていう提言だって、援護するつもりで読んだ。あまりにみんな批判的~のことを批判するから、天邪鬼な俺としては、そう言われると、「でもちょっと待ってよ、納得できる部分もあるよ」って言いたくなるんだよね)っていうスタンス)はすごく理解できる。重複するけど、設計はしたいけど、でも小さな事務所っていう小さな世界に入って、ただ設計してるだけじゃ満足できないっていうか。むしろ、建築家は、人と違うものを建てることでしか生き延びる道はないし、有名にはなれないけれど、みんながみんな違う物作ってたら、そりゃあ街並みとしてはうまくいかないし、そこに法規制ってものはあるけど、でも経済性とか、デザイン性とかを第一に考えるんじゃなくて、街並みってものをもっと重要視してもよいと思う。でも、有名になって、発言力を持つためには人と違うものを作らなきゃならないって矛盾が存在してるから、メディアの力とかに乗っかることで、発言力を得て、言いたいことを主張するみたいなさ。難しいね。文章もこんがらがってしまったけれど、整理してる暇はない。明日も早いし。明日はシントラに行くつもり。行けるところ行かなくては。
リスボンは、どこで設計するにしても、車の多さはよく考えなければならない。車通りが多いからって、横断歩道を作らないから、カンポ広場はすごくいいポテンシャルを持っているのに、人が少ない。ウィーンの公園とかめっちゃ人いたで。最初、カンポ広場の離れている(ある種、陸の孤島のようになっている)メリットを考えていたが、どう考えてもデメリットのほうが多い。車もうまく減らしていかなきゃクリーンじゃない。
今日は何だか言いたいことがいっぱいあって、とりとめもなくなってしまったけれど、思ったことをすべて吐き出せるってのは、割と良いストレス解消法である。そういえば、アイマールは昔よりミスが多くなったけれど、やっぱりうまいし、ちゃんと仕事する。本当にいいプレーヤー。昨日のパーティーで寮の住人にベンフィカ派はほとんどいないことがわかったけれど、やっぱりベンフィカの試合を見に行きたい。見ていて面白いもの。はやくサッカーもしたいな。それから、村上春樹の話はどれも何かが失われたり、損なわれたりする話で、留学先でこれからいろんなことに首突っ込んで、いろんなことを体験してやるぞ、攻めていくぞっていうときに読む本じゃないね。とても美しくて、せつないけれどね。なぜだかわからないけれど、こっちにいると日本にいる以上に心が揺さぶられる。人の悪い面ではなく、良い面を見つけなさいっていうけれど、悪い面を見つけてしまっては自分に対して嫌な気持ちになり、良い面を見つけては嫉妬しているぼくは、本当にダメで、いやな奴で、誰とも結局うまく交われないけれど、一人じゃ絶対に生きていけなくて、自分が抜け駆けするのは全く恐れないのに、人に抜け駆けされるのをひどく恐れて、そういう嫌な自分を村上春樹に思い知らさせられた気がする。昨日も書いたけれど、本当に単純なことで、傷ついて、単純なことですべて忘れる。ダメなやつだ笑
夜、久々にフォトショで遊んだ。なんかいろいろ忘れてて怖くなった。いざ使う段になって、やり方忘れないように、ちょっとだけでもちょくちょく触っておこう。やったことはと言えば、一昨日いったシザのEXPO館のパノラマ合成。俺みたいなやつがちょっといじっただけで、こんな絵ができてしまう。フォトショをいじっていると、世の中の何が本当で、何が本当じゃないのかは自分の目で確かめる以外にないと思ってしまう。そして、自分の心で感じたことのみが真実なのだ。