悩みとか喜びとか幸せとか切なさとか | 断片の集積

断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

今日は金曜日ということで、寮の住人たちがパーティーを開いてくれた。みんなで盛り上がって、寮に住んでいない人たちも招待して、とても楽しいパーティーだったけれど、悩みから解放されることはなかった。悩みってのは設計スタジオをどの先生をとろうかということ。先輩たちから聞いていた昨年までの課題と違い、先生ごとによって敷地も異なるし、課題も異なる。一人、選択したい先生がいるのだけれど、逆にいえば彼しか魅力的な先生はおらず、日本人の多くが彼のスタジオをとることを望んでいる。そして、すべての日本人が一人のスタジオを履修することは不可能だ。都市の課題も面白そうではあるが、設計をやる気できて、1/2とか書くつもりで詳細図面まで持ってきたのに、都市を選択して本当に納得できるのかってところがある。一方で、建築の課題はどれも郊外が敷地なのだけれど、日本とは違いすぎる(日本では縮小都市、どうやってコンパクト化するかが主流なトピックだ)からこそ、リスボンという都市(人口上昇が起き、郊外開発が必要)においてグリーンやCO2削減とか地球規模の課題にこたえつつ、どのように開発していくのかを学ぶのも重要だ思う。


結局どうしたらよいのかはよく分からない。ただ一つ言えることは、設計をするつもりで来たってこと。それを反故にしてもよいのかってこと。みんなもう寝てしまった。こんなに悩んでるのはきっとおれだけなんだろう。いつもそうだ。俺はいつも物事を把握するのに時間がかかり、悩みすぎてうまくいかないことが多い。あまり悩まずに、意志を貫いてうまく出来てしまう人もいるのに。そういう人は羨ましい。でも悩むことこそが人間が人間である意義だと思うし、悩むことは必ず次の成功につながっていると信じている。


人間はどんどん欲深くなっていく。来た当初は、無事に一年が終わり、日本に健康で帰れればそれで十分だと思っていた。でもこんなことで悩んだり、将来のことで悩んだり。でも欲深くなければ成長はないとも思う。簡単に意志を折ることはできない。きっとだれもがそうなんだろう。将来のことについても少し話した。みんなそれぞれに悩んでいる。今こうやって悩んでいることを、俺よ、将来思い出してほしい。きっとこの悩みは些細なものと思えるだろうから。いつだってそうだ。目の前の悩みは大きすぎて、過去の悩みは小さいものに見えてしまう。でもいつだって悩みは大きくて、もやもやして、僕を困らせる。同時に成長もさせる。きっと。


小さな幸せってのは些細なことで得られる。すごく親切にしてくれた事務のお姉さんが、あなたポルトガル語の発音がすごくいいわよって散々ほめてくれたとき、お世辞だってわかってたけどすごくうれしくて泣きそうになった。なんで俺みたいな東方の小さな島国から着た変な日本人にこんなに優しくしてくれるのだろうって。同様に、本当に小さなことで、心は弱って、切なくなって、傷つく。本当にもろい。


なぜか寮の電源から充電できない。電池残量がないので今日はこの辺で。うまくいきますように。石田ゆり子みたいな、読む人を優しく、そして切なくさせるブログが書きたい。でも僕には自分のことで精いっぱいで到底無理だ。それが僕だから仕方ない。誰もが、素敵な文章を書けたら、だれもが小説家にも詩人にもなれてしまうもの。そういえば昨日・今日とペソアを読んでいない。もっと勉強し、頑張らなくては。その必要が僕にはある。きっと頑張りすぎるということはない。メキシコにはあっても日本にはない。決して。ポルトガルはどうなんだろうか。