カッパドキアにカッパはいません(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、カッパドキアとカッパは関係ありません。


古代ペルシア語で、美しい馬の土地という意味らしいです。


これらの奇岩はどうして形成されたかAIに聞いてみると、こんな感じ。



柔らかい火山灰層の上に硬い層が積もり、その亀裂から雨が侵食し、長い年月を経て今のような形になっそうです。

崩壊を防ぐため、ビニールのシートに土を吹き付けた簡易な保護対策が見られますがうまくいっていないようです。

キリスト教徒が迫害を逃れ、穴をほって地下都市を作り、隠れ住んでいたそうです。

4世紀から11世紀にかけてのことだそうですが、誰が誰のどんな理由で迫害を受けていたか分かりませんでした、

イスラム教徒の迫害だと思うじゃないですか。

そして、そんな長い間誰にも見つからなかったなど、にわかに信じられませんよね。

実際迫害したのはビザンチン帝国のキリスト教徒で、迫害されたのは同じキリスト教徒で、教義の異なる(偶像崇拝など)一団があの岩山に逃れてきて、共同生活を送っていたのです。

誰にも発見されずに隠れていたとは全くの誤認だと、実際にあの場所に行けばすぐわかることです。

あんな誰も住まない場所に、変な連中が住んでいることは誰もが知っていたのです。

害も及ぼさないし、ただ単に自分たちだけの宗教を信じている一団です。

攻めて占領する価値もない場所だったのです。

だから生き延びたのです。

洞窟の多くは住居で、天井が黒く煤けていたり、生活の痕跡がのこっています。

そして教会。

同時に墓地も共存しています。









どうしても「吉野の百穴」を連想してしまうんですが、カミさんに聞いたら知らなかった。

知ってますよね?


最後に、驚かないでくださいよ。

なんと協定によって、ここが明け渡され住人たちがギリシャに移住していったのは、1925年のことだったのです。

何だよ、つい最近まで人々が生活していたんじゃないですか。

4世紀から続くカッパドキア。

宗教の力って、凄いですね。