・・・・・・・っということで、映画【真珠の首飾りの少女】について書きましたが、書き忘れたシーンがあります。
スカーレット・ヨハンソン演じる使用人が、フェルメールの画廊の掃除を命じられます。
彼女は、床にモップをかけた後、女主人に窓を拭いていいか尋ねます。
ガラスがずいぶん汚れていたからです。
女主人は拭くのは当たり前だろうと答えます。
そのやりとりを部屋の外でフェルメールが耳にします。
映画ではこれ以上説明しません。
彼の絵には「光」が重要であることを、学のない貧しい使用人が気づいていたのです。
フェルメールは、自分の絵を理解するのはこの使用人しかないのだと知ったのです。
物語は進んで、フェルメールはあの絵を内緒で描きます。
女主人はその絵を見つけ激怒し、切り裂こうとます。
何で私をモデルにしなかったのかと。
しかも彼女の大切にしていた真珠の首飾りを着けているではないですか。
結局ヨハンソンは奉公先から追い出されてしまいます。
コリン・ファース演じるフェルメールは止めようともしません。
それからしばらく経った後、職を失った少女が実家で縫い物をしています。
そこに奉公先の女中頭がやって来て、彼女に包みを渡します。
彼女が包みを開けると、中にはあの真珠の首飾りが・・・というところで映画は終わります。
映画評論家からは、あまりにも心理描写がなさすぎると低い評価しか得られませんでした。
この映画を見る観客もそういう印象を受けるでしょう。
しかし、この映画の制作者は意図的に極限まで説明を避けていたのだと、しばらく経ってから理解できる仕掛けなのです。
だって、フェルメールの絵は説明の部分を徹底的に排除しているからです。
裏には燃えるような禁断の恋があったのです。
Youtubeでまだ見られますよ。(^^)/

