困った誤解 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ぼくは「物知り」だとよく誤解されます。

 

ぼくのブログの読者ならそうじゃないこと分かりますよね。(^^ゞ

 

別に知ったかぶりしていたわけでもないのに、サラリーマン時代にもそう思われていました。

 

困るのは自分は物知りじゃ全然ないってことです。(ーー゛)

 

おかげで面倒なことを押し付けられたことがなん度もありました。

 

本当に困る。

 

歴史に興味があることは確かですが、間違っても「歴史通」ではありません。

 

たとえばローマの(街の)歴史です。

 

塩野七生の【ローマ人の物語】は読破しましたが、片っ端から読んだ内容を忘れてしまいます。

 

前回紹介した【美術の物語】は美術史の本ですが、歴史と美術史が全く噛み合わないのです。

 

ぼくの怪しい記憶では、確かローマ帝国は東西に分裂したよね。

 

そしてローマがある西ローマは476年に滅亡したことは知っています。(虚しを逆に読んで覚えます。)

 

トドメを刺されたのが西ゴートの侵入による略奪です。

 

しかし、その後のローマという街はどうなったのか?

 

ローマは記憶から消えるくらい荒廃しました。

 

ところが、美術史に出てくるルネッサンス期のローマは華やかなのです。

 

もちろんローマ教皇が居を構えたからですが、その間の歴史は一体どうなのか、ぼくは全く知識として持っていないのです。

 

こんなぼくを物知りだとか、歴史通なんて呼べますか?(^^ゞ

 

いちいち調べるのが面倒なときは、AIくんに聞くのが一番です。

 

古代末期〜暗黒時代:都市ローマの崩壊

5世紀〜8世紀

西ゴート人などの侵入(410年のローマ略奪など)や水道橋の破壊により、廃墟と化しました。

 

中世:キリスト教の「聖地」としての台頭

8世紀〜13世紀

フランク王国から「教皇領」として与えられ、ローマは巡礼者が集まる国際都市として存続しました。

 

アヴィニョン捕囚

1309年〜1377年

フランス王の介入により、教皇庁がフランスのアヴィニョンに移転(アヴィニョン捕囚)。教皇不在となったローマは荒廃のどん底に陥ります。

 

教皇の帰還とバチカン移住

1377年〜15世紀前半

分裂が収束し、教皇がローマへ戻り防御が堅牢なバチカンへ。

 

ルネサンス期:ローマの大復興と芸術都市化

15世紀後半〜16世紀

歴代のローマ教皇がカトリックの威信を取り戻すため、大規模な都市計画を推し進めました。

ミケランジェロやダ・ビンチの時代ですね。

 

1527年の神聖ローマ皇帝によるサッコ・ディ・ローマで街は一度壊滅的な打撃を受けましたが、「反宗教改革(対抗宗教改革)」の決意とともに立ち上がり、今度はバロック美術の都として劇的な変貌を遂げました。(ミケランジェロはサッコ・ディ・ローマを経験しているのですね。)

 

「反宗教改革」のシンボル都市へ

「バロック様式」が誕生します。

 

シクストゥス5世の都市大改造(16世紀末)

1585年に教皇となったシクストゥス5世は、ローマ全域におよぶ壮大な都市計画を実行しました。

 

ベルニーニとボッロミーニの登場(17世紀:バロックの黄金期)

 

近代:イタリア統一と首都化(19世紀)

その後、ナポレオン侵攻などを経つつも、1871年に新生イタリア王国の首都となりました。

 

どうです?

 

歴史の教科書は宗教改革の方に重点が置かれ、ローマ史の扱いは軽くなっています。

 

しかし、美術史を理解する上で、ローマ史は役立ちますね。

 

ぼくは絶対に物知りじゃないけど、こういうことに興味を持つ自分は嫌いじゃないですよ。^m^