・・・・・・・っということで、ぼくは「物知り」だとよく誤解されます。
ぼくのブログの読者ならそうじゃないこと分かりますよね。(^^ゞ
別に知ったかぶりしていたわけでもないのに、サラリーマン時代にもそう思われていました。
困るのは自分は物知りじゃ全然ないってことです。(ーー゛)
おかげで面倒なことを押し付けられたことがなん度もありました。
本当に困る。
歴史に興味があることは確かですが、間違っても「歴史通」ではありません。
たとえばローマの(街の)歴史です。
塩野七生の【ローマ人の物語】は読破しましたが、片っ端から読んだ内容を忘れてしまいます。
前回紹介した【美術の物語】は美術史の本ですが、歴史と美術史が全く噛み合わないのです。
ぼくの怪しい記憶では、確かローマ帝国は東西に分裂したよね。
そしてローマがある西ローマは476年に滅亡したことは知っています。(虚しを逆に読んで覚えます。)
トドメを刺されたのが西ゴートの侵入による略奪です。
しかし、その後のローマという街はどうなったのか?
ローマは記憶から消えるくらい荒廃しました。
ところが、美術史に出てくるルネッサンス期のローマは華やかなのです。
もちろんローマ教皇が居を構えたからですが、その間の歴史は一体どうなのか、ぼくは全く知識として持っていないのです。
こんなぼくを物知りだとか、歴史通なんて呼べますか?(^^ゞ
いちいち調べるのが面倒なときは、AIくんに聞くのが一番です。
古代末期〜暗黒時代:都市ローマの崩壊
5世紀〜8世紀
西ゴート人などの侵入(410年のローマ略奪など)や水道橋の破壊により、廃墟と化しました。
中世:キリスト教の「聖地」としての台頭
8世紀〜13世紀
フランク王国から「教皇領」として与えられ、ローマは巡礼者が集まる国際都市として存続しました。
アヴィニョン捕囚
1309年〜1377年
フランス王の介入により、教皇庁がフランスのアヴィニョンに移転(アヴィニョン捕囚)。教皇不在となったローマは荒廃のどん底に陥ります。
教皇の帰還とバチカン移住
1377年〜15世紀前半
分裂が収束し、教皇がローマへ戻り防御が堅牢なバチカンへ。
ルネサンス期:ローマの大復興と芸術都市化
15世紀後半〜16世紀
歴代のローマ教皇がカトリックの威信を取り戻すため、大規模な都市計画を推し進めました。
ミケランジェロやダ・ビンチの時代ですね。
1527年の神聖ローマ皇帝によるサッコ・ディ・ローマで街は一度壊滅的な打撃を受けましたが、「反宗教改革(対抗宗教改革)」の決意とともに立ち上がり、今度はバロック美術の都として劇的な変貌を遂げました。(ミケランジェロはサッコ・ディ・ローマを経験しているのですね。)
「反宗教改革」のシンボル都市へ
「バロック様式」が誕生します。
シクストゥス5世の都市大改造(16世紀末)
1585年に教皇となったシクストゥス5世は、ローマ全域におよぶ壮大な都市計画を実行しました。
ベルニーニとボッロミーニの登場(17世紀:バロックの黄金期)
近代:イタリア統一と首都化(19世紀)
その後、ナポレオン侵攻などを経つつも、1871年に新生イタリア王国の首都となりました。
どうです?
歴史の教科書は宗教改革の方に重点が置かれ、ローマ史の扱いは軽くなっています。
しかし、美術史を理解する上で、ローマ史は役立ちますね。
ぼくは絶対に物知りじゃないけど、こういうことに興味を持つ自分は嫌いじゃないですよ。^m^
