・・・・・・・っということで、「安全」って何でしょうね。
昨日発生した東武日光線の事故で、50代から60代の作業員男性4人が亡くなりました。
まさか除草作業中に人生を終えるなんて予想しなかったでしょう。
亡くなられた方々の無念を思わざるを得ません。
保線作業は最も危険な作業であると同時に、安全確保はそれほど複雑ではないはずです。
列車の接近を予知し、作業員を退避させるという実にシンプルな手順です。
事故は起きたばかりで原因究明を待つばかりですが、このような事故は初めてではないと聞き驚きました。
- 山手貨物線 触車事故(1999年)作業員5名が死亡。
- JR伯備線 触車事故(2006年) 作業員3名が死亡、2名が負傷。
- JR山陽本線(厚狭〜厚東間)触車事故(2019年)作業員1名が死亡。
ぼくがサラリーマン人生を送った会社は製造業でした。
国内外に何ヶ所かに工場を持ち、そこには「安全第一」という大きな看板が必ず掲げられていました。
毎年「安全」をテーマに標語を全社員に募集して結果発表していました。
ぼくも応募しましたが、佳作にさえもなりませんでした。(;^_^A
そのとき思ったのは、「安全などどこにもない」です。
就寝中でも安全だとは限りません。
火事が起きたり、ガス漏れが起きたり、地震が起きたり、泥棒が入ったり、はたまた隕石が落ちてくるかも知れません。
だとすれば、「安全」など概念にすぎず、どこにも存在しないのです。
存在するとすれば、工場に貼ってあるスローガンの安全という文字だけなのです。
もちろん可能な限り「危険」を排除し、安全に近づこうと努力することは必要です。
それを無駄な努力だとは言いません。
しかし、安全安全と称えるだけで本当に安全が実現すると考えているのなら、それは全く無駄なエネルギーです。
会社が行う安全標語運動のたびに、ぼくはそう思いました。
安全などどこにもないことを先ず各自が自覚することが先決じゃないでしょうか?
不思議なことに、死は人間の一瞬の油断を見逃さないのが厄介なところなんですね。
