哲学的に考えるとは(その5) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、(哲学ではなく)哲学的に考える重要性とその能力を磨くのにAIがとても有効であると書いてきました。

 

では、次はAIを具体的にどう教育に活かすかです。

 

教室の生徒全員にパソコンやタブレットを配って、各自AIと会話してください・・・なんて授業は、親からパソコンに教師の役割を丸投げしたとクレームが出てくるのは間違い無いでしょう。(^^ゞ

 

パソコン一台とやり取りを映すスクリーンがあれば十分です。

 

教師はその日の哲学的な命題を用意します。

 

生徒の中から数人選んで(5人くらいがいいかな)、教室の前に座らせAIに課題を質問させます。

 

キーボードがいいか音声によるか、または難しければ先生が打ち込んで手助けしてもいいです。

 

AIが出した答えに、どう次の質問をするか生徒に考えさせます。

 

生徒に任せるか、先生がどの生徒の質問が「いい質問」かを選んでもいいでしょう。

 

このやり方のいいことは、先生には哲学の素養がなくてもいいことです。

 

たぶん先生も生徒と一緒に考えることになるでしょう。

 

ある一定の質疑応答に区切りをつけたら、今度は他の生徒の意見を聞きます。

 

そしてどう考えるのが正しいのかみんなで考えさせます。

 

ここで大事なのは、「正解はない」ということです。

 

間違いなくエキサイティングな授業になるはずです。

 

たぶん先生は収集をつけるのに苦労させられるでしょう。

 

ポイントは、声を発しない生徒を置き去りにしないことです。

 

逆に、黙っている生徒を発掘し、少数意見の大事さを示すのです。

 

それでも、生徒は賢いものです。

 

AIの答えを先読みして、AIを罠にかける悪ガキも出てくるはずです。

 

そこまで来れば授業は成功と言えるでしょう。

 

繰り返しますが、授業のまとめは必要ないのです。

 

生徒の各自が自分の頭で何が正解か考え続けることが大事なのです。

 

この授業なら、先生の負担はほとんどないでしょう。

 

逆に、先生が教育の面白さに目覚めると思います。

 

以上、長々と書いてきましたが、ここまでAIが哲学の教育に最適だとの主張を述べてきました。

 

もちろんこれが結論ではありません。

 

哲学に終わりはありません。

 

今後も変わっていくとの前提で、とりあえず分かったつもりになるのは否定しません。

 

何が正解なのか、ソクラテスは死ぬ直前まで対話をやめなかったではないですか。

 

・・・以上で、このシリーズ終わります。