・・・・・・・っということで、中国は台湾は不可分の領土だと主張しています。
地図を見たり、浅い歴史認識から台湾は中国に属するよなぁ〜と漠然と感じます。
ぼくばかりではなく、台湾問題ってその程度の理解じゃないでしょうか?
この問題を考えるのに、「台湾の歴史」を知ることは必須でしょう。
そこで、遅ればせながら調べてみました。
台湾の歴史を知る上で、この大雑把な図が役立ちます。
1624年から始まりますが、これ以前は台湾は誰も関心を示さない東シナ海の未開の島でした。(倭寇が根城にしたこともありますが。)
1662年までオランダ(東インド会社)が占領していました。
知っていましたか?(ぼくは知らなかった。(^^ゞ)
その頃、中国は明朝でしたが満州民族による清朝に政権が移ります。
清朝に抵抗する明朝復興派の鄭成功(ていせいこう)が台湾のオランダと戦って勝利を得ます。
しかし長続きはせず、1683年には清朝が台湾を併合します。
歴史的観点からすると、台湾は中国のものだとする客観的証拠となり得ますね。
ところが清朝は台湾統治に積極的ではありませんでした。
台湾へは農民が多数入植しましたが女性は禁止されたため、原住民との混血が進みました。
なぜ女性を禁止したかというと、治安と衛生環境が極めて悪かったからです。
治安の悪さを示す事件がアメリカのローバー号の難破と宮古島民難破事件です。
両方とも遭難した人たちが原住民によって殺害されました。
宮古島島民は54名も犠牲になりました。1871年のことです。
これに怒った日本政府は清朝に抗議しましたが、清朝は台湾は「化外の民(国家統治の及ばない者)」として対処しませんでした。
その結果日本は「台湾出兵」(1874年)を決行しました。
中国の台湾に対する関心はその程度だったのです。
その後日本は日清戦争に勝利し、下関条約によって1895年に台湾は日本に割譲されました。
台湾が日本の植民地となったことは知っていましたが、日本の敗戦(1945年)まで半世紀も統治が続いたのですヨ。
朝鮮併合もそうでしたが、日本のインフラへの投資がその後の発展に大きく寄与しました。
特に台湾の水質改善に、後藤新平による上下水道整備、八田興一のダム建設などが貢献しました。
朝鮮も台湾も日本による投資のおかげで経済発展の基礎が築かれ、国の価値が上がったところで敗戦によって両国ともタダで手に入れる結果となりました。(勝てない戦争はしちゃいかんということです。)
さて、いま問題の台湾の独立問題のおおもとは、日本の敗戦にあります。
だって、見向きもされなかった台湾の価値が日本のおかげで上がったのですから。
1945年日本の敗戦と同時に蒋介石(中華民国)が統治権移譲のため大挙して台湾に上陸しました。
その後、1949年に共産党との戦争に敗れた蒋介石が台湾に逃げ込んできて、本土が中共産党の華人民共和国、台湾が中華民国になったことはご存知の通り。
この間に国民党による凄まじい殺戮があったのは記憶しておくべきでしょう。
ここまでの歴史の知識で、両国の主張を見てみましょう。
下関条約によって台湾が日本に割譲されたとき、中国側の当事者は清朝でした。
カイロ宣言、ポツダム宣言では日本が清朝から奪った台湾は「中華民国」に返還するとあります。
中国側の当事者が清朝→中華民国に変わっています。(台湾側の観点)
その後、共産党の戦勝によって政権移行が成されたのだから、当事者は中華民国→中華人民共和国であるのは当然というのが現中国側の観点です。
皮肉なことに、台湾は歴とした民主主義国家と言えることです。
しかも民主主義国の中でも先進国と呼んでいい価値を示しています。
中国に返還された途端に輝きを失った香港の例を世界は見ています。
力づくだろうが平和裏だろうが、台湾の人々をみすみす見捨てるわけにいきません。
だから、日本を含めた自由圏諸国は、一つの中国は認めるのだから台湾は不可分の領土だという主張に対しては理解するというヘンテコな理屈をこねています。
もう一つ別の観点があります。
台湾は蒋介石によって占領されたと言っていいでしょう。
武力によって占領されたという事実をもって国境線が決まるということは歴史上繰り返されています。
要は力の論理がまかり通っているのが現実です。
だったら、台湾はその一例に過ぎず、独立宣言するまでもなく現状のままでいいじゃないかという態度もあり得ます。
ぼくは、その立場をとります。
逆に中国の共産党政権が倒れ、台湾が支配する民主主義国家になる可能性だってあるはずですから、何も二つに分けなくていいじゃないですか。
中国が台湾占領に拘るのは、自らの首を絞める行為とぼくには見えるのですがどうでしょう?^m^
台湾を歴史とは別に公用語の変遷で辿るのも面白いですが、別の機会に。

