・・・・・・・っということで、久々にショートショートを書いてみました。
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50年前の人間が今の社会を見たら、どう思うだろうか。
AIが出現した21世紀初頭、人類はAIに凌駕されてしまうのではないか。
人々はそればかりを心配していた。
SF小説や映画でも、そんな世界ばかりが描かれていた。
だが現実は違った。人間のほうがAIに追いついてしまったのだ。
どういうことか、説明が必要だろう。
人間のDNAの解析は不可能だと思われていた。
ところが予想をはるかに超えて、早期に解明されてしまったのはご存知の通りだ。
次に人類が挑んだのは、人間の脳のプログラムの完全解読であった。
当時から、人間の脳はコンピュータと同じくプログラムの一種だと考える研究者が少なからずいた。
AIの登場によって、一気に人間の脳のプログラムが解き明かされてしまったのである。
これは大きな変化を人間社会にもたらした。
コンピュータが人間を乗っ取るのではなく、人間がコンピュータの条件に到達したのである。
その結果、どんなことが起きたか。
人間はネットで繋がった。
もう言葉による意思疎通は不要になった。
膨大な知識へ直接アクセスできるようになった。
世界のどこへでも、ネットを介して行けるようになった。
食べることさえ必要なくなった。
そう、人間は「全能」の存在になったのである。
それは「神」になったことと同義だった。
そして最大の変化は何だったと想像するだろうか。
「死」からの解放だった。
各自の「個」はプログラム化され、ネットワーク内で不死の存在として生き続けることができるようになったのである。
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もちろん物理的な肉体を持たない世界で生きることになるため、初期段階では誰もがネットワーク内で生きる選択をしたわけではなかった。
しかし大多数の人間は、死に直面したとき永遠の命を選択したのである。
個人のプライバシーは完璧なセキュリティプログラムによって守られている。
ぼくは、その選択をしなかったごく少数の人間の一人だ。
いま、体は衰え、死と向き合う時が近づいている。
ぼくはこのまま死を迎えたいと思っている。
肉体は物理的存在だ。
物理的存在であるからこそ不便はあるが、替えがたい喜びもある。
いわゆる感覚である。
科学者にとって、バーチャルな世界をプログラム化された脳に与えることは容易だ。
肉体よりはるかに心地よい快楽を与えることさえできる。
だが、それでいいのだろうかと、ぼくは考える。
物理的な生き物であるからこそ子孫を残せる。
自分の子供がプログラムであるとしたら、何と不毛なことだろうか。
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ある日、何らかの原因で世界の電力がダウンする。
電力は物理的に生産し続けなければならない。
プログラム化され、肉体を持たない人類がその装置を維持管理できるはずがない。
ネットの社会で永遠に生き続けることはできないのは明らかだ。
それでも人間は生きたいと願い続ける。
いつまでだろう。
百年では足りないのか。
千年なら満足できるのか。
ぼくは、ここで終わる。
不便だが、これはぼくの生だ。
