マウンドの上の修行者 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ワールドシリーズでMVPを獲得した山本由伸。

 

これまで多くの日本人選手がメジャーでプレーしてきたけれど、彼ほど「日本人とは何か?」を考えさせる選手はいないのではないでしょうか。

 

イチローは小さな体で努力を極めた人。

 

松井は寡黙なパワーの人。

 

大谷は規格外の才能としてアメリカ的ヒーローの文脈にすっぽり入った。

 

だが、山本は違う。彼はMLBの「文法」そのものを変えてしまった。

 

速球派でもなければ派手でもない。

 

感情を表に出さず、淡々と、静謐にマウンドを支配する。

 

アメリカ人が山本に見たのは、プレーヤーとしての優秀さよりも、「理解不能な日本人」という存在そのものだったに違いない。

 

これまでの外国人選手は“個人”として受け入れられてきた。

 

しかし山本は、“民族”として、ひとつの「文化圏」を背負って登場した初めての日本人なのです。

 

その文化とは「精神」であることは自明のことです。

 

彼を通して、アメリカ人は初めて「太平洋の向こうにいる人々」を見つめる機会を得たのです。

 

戦争映画の中で単純化された日本人像――卑怯な真珠湾攻撃、そして原爆で終わった物語。

 

それが、静かにボールを投げ続ける一人の青年によって、まるで書き換えられようとしている。

 

山本を見て、アメリカ人はこう思うのではないでしょうか。

 

「我々は、この人たちと本当に戦ったのか?」と。

 

日本人である私たち自身もまた、山本を通して気づかされる。

 

目立たずとも、自分の「型」を守り、努力を積み上げる人がこの国にはまだたくさんいるんです。

 

つまり、山本や大谷やイチローは“特別”なのではなく、“日本の中に確かにいる”人たちなのです。

 

戦争で多くの若者を失った。

 

もし彼らが生きていれば、きっとその中から何人もの山本や大谷が生まれたでしょう。

 

戦争の愚かさとは、そうした可能性を自らの手で潰してしまうことなんです。

 

山本由伸の静かな投球は、まるであの言葉のように響く。

 

「きみ死にたもうなかれ」。

 

・・・・・・・

 

ちょっと飛躍した論法ですが、山本投手を見ながらそんなことを考えてしまいました。