映画【落下の解剖学】 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、なかなかの意欲作です。

 

 

っと同時に何を言いたいかわかりにくい映画でもあります。

 

全てが曖昧なのです。

 

まず、サスペンスだと理解しようとすると、本当の犯人は誰か?動機は何か?殺人か事故か?肝心なところがわざと曖昧にされているのです。

 

ぼくなんか最後のどんでん返しを期待して待っていたのですが、見事に肩透かしに遭わされました。

 

うぅ〜〜んこの手があったか。

 

さらに、息子が弱視であって、盲目ではない設定にします。

 

見えないけれどボォーっとは見える曖昧さです。

 

そして、言語の持つニュアンスの曖昧さ。

 

夫はフランス人、妻はドイツ人、お互いの会話は英語という設定です。

 

法廷劇ですから、裁判がメインストーリーです。

 

裁判は曖昧なまま終わらせるわけにはいきません。

 

判決によって白黒を明確に付ける場です。

 

そんな裁判に、曖昧さのテンコ盛りを持ち込んだのです。

 

フランスの法廷ですから、アメリカのように理論的な進行はせず、不規則発言だらけで、これも曖昧です。

 

さらに主人公(妻ね)がバイセクシュアルであることで曖昧さのとどめを刺しています。^m^

 

主人公を演じたザンドラ・ヒュラーが良かった。

 

さらに弱視の息子(11歳との設定)の演技も良かった。

 

でも、それ以上の演技を披露したのが「犬」でした。

 

人間は曖昧さに振り回されていますが、犬だけは現実を見据えているように感じるのです。

 

薬を飲まされて死にかけるシーンはどうやって撮影したのでしょう?(CGかな?)

 

インテリ同士の夫婦喧嘩を見ていると、どこの夫婦も同じで女性の方が強いなぁと感じます。

 

弁護士と主人公の怪しい関係も曖昧に描かれます。

 

息子の最後の証言が裁判の結果を左右することになるのですが、この息子が子供らしさを残しながら大人のようにしっかりしているので驚かされます。

 

こういう曖昧さの中では、信じる信じないではなく、「自分が(どちらかに)決めることだ」と教えられます。

 

そして、重要な局面でそれを実行するのです。

 

あと、検事役がやたらイヤらしかったな。

 

フランス人らしいイヤらしさでしたね。(;^_^A

 

★★★★★