民主主義の最後の砦 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、昨日書いた「フィルターバブル」と「エコーチェンバー」のように、情報を正しく理解すること(情報リテラシー)の重要性が今ほど問われている時代はありません。

 

これはジャーナリズムの責任がますます問われていると認識すべきです。

 

ジャーナリズムという言葉の語源は、ラテン語の「diurnus(日毎に)」から派生し、フランス語の「journal」となり、そして英語の「journalism」に変化しました。

 

これが活版印刷の発達から日誌や新聞とつながり、今の意味になりました。

 

印刷から始まった情報の伝達技術は時代とともに劇的な進化を遂げ、今ではインターネットが時代を支配しています。

 

当然のことながら、情報を正しく伝えるジャーナリズムの方も、進化をしていかなければなりません。

 

ぼくは、現代のジャーナリズムはその進化スピードに追いついていないんじゃなかと危惧しています。

 

いわば、ジャーナリズムは危機を迎えているということです。

 

映画【Civil War】は日本では未だ公開されていませんが、現代が迎えている分断の危機とジャーナリズムの関係を描いていて、いま見るべき作品でしょう。

 

 

では、現代のジャーナリズムの責任とはなんでしょう。

 

 1.    フェイクニュースの排除

信頼性の高い情報を提供することが求められます。

 

    2.    透明性の確保

情報の収集方法と、どのように検証されたかを明示すること。

 

    3.    倫理的な報道

倫理的なガイドラインを持つこと。報道側が倫理に反するなど論外です。

 

    4.    社会的責任

報道の影響力を自覚すること。

 

    5.    教育と啓蒙

これは難しい問題ですが、読者や視聴者の情報リテラシーを高める啓蒙活動にも責任を持ちます。

 

大袈裟な言い方かもしれませんが、ジャーナリズムは「民主主義の最後の砦」なんです。

 

その辺の自覚がジャーナリスト側にあるのか?

 

情報を受け取る側が自ら情報リテラシーの能力を高める努力をしているか?

 

ぼくらは、とても難しい時代を生きているのではないでしょうか。

 

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