ポンペイ遺跡その3 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、これも裕福な商人の邸宅です。
 
ファウノの邸宅の斜向かいで、ヴェッティの邸宅です。(たぶん)
 
負けず劣らず贅沢な造りです。
 

 
金持ち同士、往来があったんじゃないかと想像してしまいます
 
 
街の至る所にこのような水場があります。↓
 
そのうちのいくつかは今でも実際に使え、観光客がペットボトルに水を補給していました。
 
 
ポンペイの80%は発掘済みらしいですが、現在でも発掘作業が続いています。↓
 
正直なところ、もう広さは十分だから、これ以上歩かせないでと言いたいです。(^^ゞ
 
 
街の道はほとんどこのような造りです。↓
 
メインの通りは、大きな石で舗装され、両側に一段高くなった歩道があります。
 
メインの道は凸凹で歩きにくいっす。
 
ですから、両側の歩道をなるべく歩くようにしますが、それでも注意が必要です。
 
転んで骨折しないか、本気で注意して歩きました。
 
 
ここには写っていませんが、右の歩道から左に渡るための大きな飛び石が設けられています。
 
ですから、当時も人々は両側の歩きやすい歩道を使っていたのでしょう。
 
じゃあ、なぜ渡るための飛び石が必要だったのか?
 
ガイドブックには雨が降った時に渡るためと説明されています。
 
しかし、それでは合点が行きません。
 
メインロードはその飛び石が邪魔し、馬や馬車は通れません。
 
ぼくは、この街に下水道があったのか気になりました。
 
ホントーは汚水はこの本道に流していたんじゃないのか?
 
いまでは歩くための本道に見えますが、当時は川のようになっていたのではないのか?
 
だから、歩きにくい凸凹の道なのではないか。
 
これは、あくまでもぼくの推理ですので、今後調べてみたいと思います。
 
↓とある邸宅。
 
もう、いちいち見る気になりません。(^^ゞ
 
 
↓これはスタビアーネ浴場といって、ほぼ街の中心にあります。
 
 
また、亡くなった人の石膏型が展示されています。
 
 
足の指まで数えられるくらい、リアルな姿です。
 
火山灰が気管に入るのを防ぐためにとった姿勢だとわかります。
 
なんと、痛々しい最後でしょうか。(>_<)
 
 
さて、浴場に戻りますが、さまざまな様式の風呂があります。
 
↓これは床下から温めるサウナのような仕掛けだったのでしょうか。
 
 
天井が丸いドームになっていて、じつに洒落ています。↓
 
 
どこまで贅沢なんやと感心してしまいます
 
テルマエ・ロマエで有名になったとおり、ローマ人の風呂好きは徹底しています。
 
ローマの軍団は、温泉が湧く土地を血眼になって探しました。
 
きつい行軍の後のひと風呂は、何ものにも変え難い喜びだったことでしょう。
 
ポンペイに温泉が湧くかは知りませんが、ヴェスヴィオ山の近くですから、たぶん湧いたに違いないでしょう。(調べなきゃ)
 
話はちょっと逸れますが、ローマ人ほど最適の土地を見つけるのに秀でていた人たちはないでしょう。
 
当時の軍団所在地のほとんどが、いまでは大都市になっています。
 
例を挙げるまでもないでしょう。
 
その勘の良さが別荘地選びでも発揮されています。
 
トルコのパムッカレを訪れた時、それが分かりました。
 
ご存知の通り、パムッカレは温泉が沸いて白い池をたくさん形成しているのですが、退役軍人たちの一大保養地になっているのです。
 
ポンペイもパムッカレと同じ印象を受けました。
 
ポンペイは引退後の保養地のみならず、別荘として開発されたのです。
 
デベロッパーの宣伝文句が浮かぶようです。
 
ローマやナポリから近い、熱海みたいな存在なのです。
 
ローマ人を見る時、彼らが発揮する土地を見つける臭覚の良さに感心させられます。
 
日本人はこの点、下手くそです。
 
つづく。