ロシア人は何で野蛮なのか? | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
一日に数本書いていますので、遡って読んで下さいね。

・・・・・・・っということで、フィンランドとバルト三国を旅行すると、「ロシアの陰」を否応なく感じます。

 

まさしく行ってみなければ分からないですね。

 

日本もロシアと国境を接していますので、歴史として日露戦争と太平洋戦争で火事場泥棒のように侵略された経験で彼らの本性は学んでいます。

 

はっきり言って、奴らは野蛮なろくでなしです。

 

21世紀の現在でさえ、迷惑極まりない国のままであり続けています。

 

今回のウクライナ侵略戦争での数々の狼藉を見れば、それを再認識できるでしょう。

 

実際に侵略され占領された経験をもつ国々ならなおさら、彼らがいかに信用ならない連中か、嫌というほど知っているのです。

 

じゃあ、何で彼らはそうなのか?理由を知る必要があるのではないでしょうか。

 

ぼくは【タタールのくびき】にあると考えています。

 

タタールのくびきとは、13世紀前半から2世紀半続いたモンゴル帝国によるロシア(当時はルーシ)支配です。

 

ヨーロッパにおいて災いは常に東からやってきました。

 

その災いはモンゴル人によってもたらされました。

 

フン族(4世紀 - 5世紀)

モンゴル帝国(13世紀初頭)

 

彼らの騎馬を用いたスピーディーな攻撃に対抗できるヨーロッパ諸国はありませんでした。

 

フン族のアッティラ王が死ななければ、大西洋まで達していただろうという説もあるくらいです。

 

彼らに押されたことが、ゲルマン民族の大移動の一つの原因になったことは歴史で習いましたね。

 

そんな中で、まず最初の餌食になるのは、常にロシアでした。

 

モンゴルによる2世紀半もの支配が、ロシア人に与えた影響は大きくないはずがありません。

 

では、モンゴルによる支配とはどんなものだったのでしょう。

 

簡単に言えば、分割統治と自治です。

 

大方の予想に反して、モンゴルの支配は寛大で、自治権を与えました。

 

その代わり、重い税金を課しました。

 

モンゴルの支配を特徴づけるものが「恐怖による支配」であると、ぼくは考えています。

 

彼らの残虐性は、日本も元寇で経験済みですね。

 

支配中の反抗に対しては、町単位で消滅させられたと言われています。

 

一方で、忠誠を示す者に対しては報酬を与えたのです。

 

さらに、専制主義、官僚制度、貴族制度、国民の自由より国家の安定を優先する統治手法を持ち込みました。

 

どうです?

 

まさに、現代ロシアの基礎を形成したのはモンゴルであるといえませんか?

 

その後、ロシアにとって不幸だったのは、ロシア皇帝による専制国家が続き、国民は農奴と化しました。

 

さらに追い打ちをかけたのがロシア革命で、ソ連が打ち立てられ社会主義国となったものの、国民の自由は著しく制限されたままでした。

 

唯一、チャンスが巡ってきたのは1989年のソ連崩壊であったのですが、犯罪者たちが幅を利かせる無法国家になってしまったのです。

 

どうです?

 

こうやってタタールのくびき以降、ロシア国民は一度も民主主義を経験しないまま現代に至るのです。

 

気の毒と言えば気の毒ですね。