・・・・・・・っということで、映画【ナポレオン】をクソミソに貶してしまって、ちょっと罪の意識を持っています。(;^_^A
絶賛する人もたくさんいるので、ぼくの意見は少数派でしょう。
ハッキリ言って、ぼくはナポレオンファンです。(^^ゞ
何冊か彼の伝記を読みました。
彼の評価をいちばん高めているのが、戦術家としての一面です。
まあ、天才と言っていいでしょう。
いっぽう、彼は膨大な数のフランスの若者を死に追いやった負の面を持っています。
一旦、ロシア遠征で失敗し、エルバ島に流刑となるも脱出し、パリへ行進する間に国民に熱烈に迎えられてしまいました。
ナポレオンの映画で、このシーンはハイライトとして必ず描かれます。
もちろん、今回の映画でも省略されていません。
このエピソードは、ナポレオンという人物の不思議な魅力を読み解くヒントを提供するからです。
しかし、ナポレオンを描く上で見過ごされている側面があります。
それは、『ナポレオン法典』を編纂させたことです。
国家を統治する上で法律が最も重要であることを知っていたのです。
特に、フランス革命の混乱した時代です。
市民革命は、これまでの封建制度への反発でした。
封建制度に代わる「新しい国の形」を早急に固めなければならないことをナポレオンは見抜いていたのです。
だから、ナポレオンは只者じゃなかったのです。
ぼくはヒネクレ者ですから、ナポレオンにとって新しい国の形の裏には「国民皆兵」の正当化が隠されていたと疑っています。
これについてはまた長くなるので省略します。
国家を定義するには法律が必要です。
ハンムラビ法典、ユスティニアヌスのローマ法大全などはその典型です。
このナポレオン法典は現代でも、修正を受けながら生き続けています。
敵であったプロイセン(ドイツ)でさえも取り入れています。
もちろん日本の法律も多大な影響を受けています。
そういう意味で、ナポレオンは過去の人物ではないのです。
この事実を忘れていないでしょうか。
ナポレオンが天才である所以は、何が大切なのか即座に見抜く嗅覚を持っていたことなのです。
そういう本質的な面を映画監督は描くべきじゃないでしょうか。
リドリーはジョセフィーヌを通してナポレオン像を描こうとしていますが、そんなことはド〜でもいい話なのです。