・・・・・・・っということで、この「・・・とは」シリーズは、皆さんにとって退屈な記事だと思います。
でも、ぼくにとってはとても大切なのです。
大袈裟にいえば、これを書くために旅行をしているようなものです。
その国に実際にいて、どんなことを感じたのか。
盲人が象を撫でるのと同じと揶揄されようが、少なくともその場にいて何を感じた以上に大切なことってあるのでしょうか。
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リトアニアを出国して、いまベオグラードに向かう飛行機の上です。
リトアニアとは何かといえば、それはかつて大公国を持っていたという自負じゃないでしょうか。
リトアニアの精神的支柱は、ヴィリニュス大聖堂に建っているゲディミナス大公の像でしょう。
そして裏の丘に立つ小さなゲディミナス砦でしょう。
衛兵が守る独立記念塔ではないはずです。
バルト三国の中で、自分たちの英雄を持っているのは唯一リトアニアだけです。
だからどうなんだ?・・・と自分にツッコミを入れてしまいますが、国の形としてまとまる力として、精神的支柱になる人物の存在は大きいと思うのです。
日本でも、お城があってその城下町に住む人たちは「オラたちの城、オラたちのお殿様」という気持ちが強いのと同じです。
とはいえ、リトアニアの国の形成にどれほど役立ったかは検証できませんが。
もう一つリトアニアがバルト三国の中で特徴的なのは、ロシア系の住民が少ないことです。
他の国でも触れたように、ラトビアが最も高く25.4%(2017 年)、エストニアが 25.0%(2017 年)と、4人に一人がロシア系なのに対し、リトアニアはわずか 5%(2016 年)と なっています。
これは何を意味するのでしょう?・・・分かりません。(;^_^A
ロシアにとってリトアニアは(経済的に)魅力がないのか?
あるいは、住みにくい理由が何かあるのか?
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リトアニアは大公国だった頃、ポーランドと組んでエストニアとラトビアを支配した過去があります。
ぼくはリトアニアが他の二国と比べ強かったのではなく、2国が弱すぎたからだと思うのです。
2日ヴィリニュスの街をほっつき歩いただけで、その国の何が分かるかと言われればそれまでです。
とはいえ、肌で感じた体験があるかないかは大きいと思いますよ。
天候の影響が大きいのですが、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニアと南に下るにつれて、印象が段々暗くなるのは何故でしょう。
印象が暗いとは、「元気のなさ」です。
以上、まとまっていませんが、リトアニアについて感じたままを書きました。