同性婚問題は難しい(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、首相補佐官や岸田総理の発言に対する報道を見ていると、ちょっと変だと感じます。

 

外国が日本を見る視線には、「差別的で遅れた国であって欲しい」との願望が常にあります。

 

ぼくには、日本のマスコミは、そういう決めつけを補強する材料を自ら与えて、自虐的に喜んでいるように見えます。

 

近年のLGBT運動から発したブーム(と敢えて言っちゃいます)に、まるで乗り遅れたくないかのようです。

 

日本はLGBT問題で遅れた国だろうか?

 

TVでは、ゲイのタレントがもてはやされているではないですか。

 

欧米はキリスト教の道徳観と鋭く対立していて、同性愛者に対して想像を絶する差別をしてきたことを見落としてはなりません。

 

日本人は「小姓(=男娼)」という言葉があるくらい、同性愛に対して寛容でした。

 

信長と森蘭丸の関係はよく知られていますよね。

 

ぼくはよく銀座のゲイバーを客の接待に利用しました。(ショーは面白いですよ。)

 

欧米でLGBTの人たちが酷い目にあっているからこそ、運動として盛り上がっているのです。

 

その流れがあまりにクローズアップされすぎて、「同性婚」を法的に認めるまで行ってしまったのです。

 

(その1)でも書いたように、同性婚は、ものすごく大きな問題を含んでいることに気付かねばなりません。

 

ぼくの目には、日本では議論が十分深まっていないように見えます。

 

男女が結婚することには不自然さがないから、制度として成り立っているのです。(それでも失敗するけどね。)

 

しかし、同性婚はあまりに不自然で、制度として認めるには慎重な議論が必要です。

 

お互い「愛しているから」という理由だけで婚姻のメリットを享受できるならば、兄弟同士での結婚も認めなけらばならなくなる。

 

一夫多妻だって認めなければ、理屈に合わないでしょう。

 

えっ?話が飛躍しているって?

 

夫婦の定義を決定づけるものが「お互いの愛」とすれば、どんなカップルの組み合わせでも結婚が成り立つじゃないですか。

 

欧米が自分たちの事情で作った流れに迂闊に乗るのは、あまりに軽薄じゃないかといいたいのです。

 

外国からどう言われようと、日本は日本の事情をしっかり勘案して検討すべきと言っているのです。