M-1グランプリからの連想 | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、ときどき「M-1グランプリ」なる言葉を目にします。

 

F-1グランプリと関連する自動車レースだとばかり思っていたら、ナンと「漫才」ではないですか。

 

松本人志が審査員を務めているようで、何で彼がいつもエラソーにしているか、なぁ〜んとなく分かった気がしました。本当のことは知らんけど。

 

漫才といえばお笑い。

 

漫才のお笑いは何処から生まれるかというと、「ボケとツッコミ」が原則です。

 

日本人は落語を芸術にしてしまうくらいですから、「笑う」ことの効能をよく理解しています。

 

海外でこの「Manzaiスタイル」で笑いを取る方式があるのか知りませんが、あまり多くはないでしょう。

 

(いま笑いを取ると書きましたが、正直なところこの言い方好きではありません。)

 

どちらかといえば、「ボードビルスタイル」が主流じゃないでしょうか。

 

ボードビリアンは、殆どが一人で演じるものだと理解しています。

 

彼らの使う「ブラックユーモア」は相当な技術が必要です。(時に殴られる危険もありますが。)

 

・・・・・・・

 

漫才の構造をもっと考えていけば、「揚げ足取り」が笑いの原点だと分かります。

 

大阪人は、特にこの能力に長けていると思います。

 

本来、揚げ足取りは相手を怒らせて不快にするものです。

 

しかし、関西弁でやるとソフトになるので、怒るより笑ってしまうのです。

 

・・・・・・・

 

漫才の世界は厳しいものがあるでしょうが、日本の「お笑い芸人」の人気は異常なくらい高いですね。

 

TV界でのお笑い芸人の地位はとても高いようで、主に司会を務めているのはほぼお笑い出身で占められているといっても過言ではないでしょう。

 

本質的に彼らは「頭が良い」と同時に、会話における「反射神経が良い」ことは間違いないでしょう。

 

ですから、モテるのです。

 

モテるものですから、現代の若者は、日々ツッコむチャンスを伺っているという有様です。

 

・・・・・・・

 

ぼくが笑いについて考えられるのはこの程度ですが、海外と日本では「笑いの主流」が異なるように思われます。

 

ぼくが思うに、日本には「ユーモアによる笑い」が決定的に欠けているのではないでしょうか。

 

ユーモアまたは「ウイット(wit:機知)」でしょうか。

 

先ほど述べたように、「揚げ足取り」による笑いは正直なところ、あまり上等ではないように感じます。

 

極端な言い方をすれば、日本中が「揚げ足取り」に虎視眈々としているのは、あまり感心できないのではないか?

 

そもそも日本人はこういうユーモアのセンスがないのか、退化してしまったのか知りませんが、ユーモアよりも「ダジャレ」の色が強いように思われます。

 

・・・・・・・

 

先日、イギリス映画を見たのですが、貧困や、苦しい状況でも彼らはユーモアを忘れないんですね。

 

特に政治家には、このユーモアの資質がなければなれないといって差し支えないでしょう。

 

翻って日本の政治家はどうでしょう?

 

ユーモアが上手に使えない人ばかりです。

 

なぜかというと、ユーモアで場を明るくしようと発言すると、すぐに「揚げ足取り」されてしまうからです。

 

そもそも日本の政治家にこの能力が欠落していると同時に、日本の国民側にもこのユーモアのセンスが欠けていると思うのです。

 

上手なユーモアを使うには、使う側に「知性」が必要なのです。

 

また嫌われる言い方をしちゃいますが、日本人が上手くユーモアを使えないのは、「日本人に知性がない」と海外から誤解されてしまうのです。

 

・・・・・・・

 

たかが笑い。

 

されど笑い。

 

ツッコミの技術ばかり磨いてばかりいないで、もう少しユーモアのセンスの重要性に気付いて欲しいものです。

 

以上、M-1グランプリからの連想でした。