・・・・・・・っということで、ハイ!いま酔っ払っています。^m^
ブログにはいろいろな解釈がありますが、ぼくは「日記」と捉えています。
日記って人に読まれたくない、プライベートなことを書くのが基本でしょう?
だから、鍵付きの日記帳があっても不思議ではありません。
そういう日記は、本人の死と共に、世間に知られないまま消え去るのです。
ブログはそれと正反対の存在ですね。
他人に読まれる日記なんて、日記の定義から外れているでしょう?
日記とは、ありのままの自分を正直に書くべきだと言いながらも、読み手を意識しないで書く人はいないでしょう。
日記とは「自分が生きた証」を残そうとする行為です。
生きた証を残すということは、誰かが読んでくれなければ証にはなりません。
日記を書く人は誰でも、「読まれたくないけど読まれたい」という矛盾を抱えています。
自分と波長の合う誰かに読んでもらい、自分の生きた証の証人になってもらいたい。
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生きた証というと大袈裟ですよね。
世の中の片隅で、人知れず生命を繋いできて、世の中に何の影響も与えないまま消えていく人生。
他人にとっては取るに足らない人生かもしれませんが、生きた本人にとっては人生そのものなのです。
生きたからには何らかの意味があるはず・・・と思いたい。
だれでも。
ブログは、そういう人たちのニーズに応えるツールじゃないでしょうか。
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ブログは基本的に一方送信です。
不特定多数に向けた、こちらからの一方的な送信です。
たまたま受信したごく少数の人がいます。
受信しても読まない人がほとんど。
読んでも、まったく反応のない人。
いいねと思わなくても読んだよという意味で、いいねボタンは押す。
世の中、本当に波長の合う人間なんかほとんどいません。
でも、15年も送信し続けていれば、合う人がいるのが世の中の面白いところです。
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ブログはお互い匿名であるところがミソです。
名前も顔も知らなくても、共感は得られる。
性が異なっていても、年齢が違っていても、住む場所が違っても関係ない。
共感が得られれば、一方送信で終わっても十分満足すべきです。
しかし、コメントのやり取りをしていると、実際に会ってみたくなる。
これをルール違反とする理由は分かります。
ブログの目的は、共感が得られた時点で達成されたとすべきなのです。
でも会いたい。
実際に会ってガッカリしたことは一度もありません。
(尤も、ガッカリさせたことはあるかも知れませんが。(^^ゞ)
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何でこんなことを長々書いているかというと、このあいだ15年来のブロ友と会ったからです。
自分の好きな業界で働いていて、自分の才能が発揮できる仕事をしています。
ただ問題は、その業界そのものがブラックだということだけです。
独身の女性が生きていくことに対して、日本の社会は冷淡です。
本業以外に2つの仕事を掛け持ちしています。(合計3つ)
ぼくの全く知らない世界です。
何度も会っています。
年齢差も大きいし、何で波長が合うのか実に不思議です。
ぼくは彼女の話を聞き、彼女はぼくの話を聞いてくれます。
彼女のために何か役に立ってあげたいと思うものの、何もしません。
ただ話を聞きながら酒を飲み、美味しい料理を食べるだけです。
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少なくとも、お互い、生きた証の証人にはなれるでしょう。
以上、支離滅裂で申し訳ございませんでした。<(_ _)>