・・・・・・・っということで、「破滅型」の人間について。
辞書を調べると、「身の破滅に繋がるような行動をとる人の意味で、俗に用いられる語」とあります。
しかし、「具体的には、後先を考えずに目先の享楽にのめり込んだり、努力をせず、将来の目標を持っていない人などを指すことが多い」
・・・とはかなり違ったニュアンスでぼくは捉えています。
破滅型の人間としてまず浮かぶのが、太宰治です。
彼は愛人と何度も心中を試み、最後は入水して目的を達成しました。
彼が享楽にのめり込んだとはいえず、努力もしない人間だとはいえないでしょう。
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ぼくのイメージする破滅形の人間は、二つの選択肢が目の前にあったとき、絶対自分に不利、あるいは自分が損するという方を選択してしまう人間のことです。
そういう意味において、ぼくは破滅型の人間だと思っています。
ベータマックスとVHSがあったとき、あるいはプラズマ方式と液晶があったとき、MacとWindowsがあったとき、燃料電池車と電気自動車があったとき、ぼくが選んだ方はまず間違いなくメジャーになれない・・・・
とはかなり違うけど、まあ、似たようなものです。(^^ゞ
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じゃあ、自分なりの拘りや、判断する絶対的な自信があったかというと、そうじゃないんですね。
何故か、自分に不利な方を選んじゃうんです。
サラリーマン時代も、そんな選択の連続でした。
そして、誰も見ていないのに全力を投じ、そして案の定、自身の破滅を招く。
仕事上の実例を書くとちょっと生々しいので、軽い例を挙げます。
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ぼくは30過ぎても独身を続けていました。
会社の別部門の役員が心配してくれて、ずいぶんお見合いを紹介してくれました。
結局、今のカミさんは自分で見付けたのですが、お世話になったその人に仲人をお願いしました。
本来なら直属の専務にお願いするのがスジでしたが、ぼくはその専務を嫌っていました。
先輩たちは全員その専務を仲人にしていました。
専務も当然自分が仲人になるものと確信していました。
別の部門の役員を仲人にすると伝えたときの、専務の反応は今でも覚えています。
「それは君のためにならない」と言ったのです。
結婚式には「万難を廃して出席する」と確約しましたが、案の定、その日に海外出張を入れて参加しませんでした。
会社ではこれが評判になり、先輩たちからは、ずいぶん思い切ったことをしたねと心配されました。
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明らかに、自分の不利になる選択でした。
大袈裟ではなく、これで出世の道は絶たれたのと同じでした。
しかしその後専務は失脚し、若くして亡くなってしまいました。
まあ、ぼくの理解するところの破滅型の人間って、こんな感じです。^m^