・・・・・・・っということで、難しいテーマを何の考えもなく書き始めます。
最後にまとまるといいんですけどね。(^^ゞ
五島列島はキリシタンの里として有名です。
初期の藩主が病にかかった時、医学の心得のあるオランダ人宣教師を呼んで治療してもらって以来、キリスト教に改宗しています。
たしか、息子もクリスチャンになったはずです。
この辺の歴史は、すぐ忘れるので正確ではありません。
しかし、次の代になるとキリスト教を弾圧し始めます。
今回のテーマは、どうしてキリスト教は弾圧されるか?
そして、どうして弾圧されても信仰を守るのか?
・・・命と引き換えても。
どうです?
難しいテーマでしょう?^m^
「信仰」を守ると書きましたが、「信仰」とは何でしょう?
百科事典(ニッポニカ)の解説。
【神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。宗教的体験や儀礼を繰り返すことによって、しだいに人格の内部に一定の心的態度が信仰として形成される。信仰は個人生活を統合する中心の役割を果たすと同時に、その信仰の表現である信条、組織、制度などにより、共同体の生活を統合する活動の中心にもなっている。[藤田富雄]】
「個人・共同体の生活を統合する中心」ですから、その人(共同体)にとって最優先の価値を持つものです。
「信頼」と「信念」との違いも解説されています。
両方とも、裏切られたり、変化するものですから、信仰とは区別されます。
そこでぼくのような無神論者が理解できないのは、信仰は自分の命より上位に位置するものなのか?・・・です。
「牢屋の窄(さこ)殉教記念教会」で聞いた話ですが、生き延びた子供(92歳まで生きた女性)がいて、彼女が助かったのは両親から自分の食べる分のさつま芋を貰ったからだそうです。
両親はそのため飢えて亡くなりました。
何か美談に聞こえますが、そもそも子供をそんな目に合わせる親が無責任でしょう。
信仰のために自分が死ぬのは勝手(?)ですが、子供を巻き込んではいけない。
宗教は理解しようとするものではないと言われるでしょうが、信仰の方が人間の命より上だという考えは間違っていると思います。
踏み絵でもなんでも踏みつけて、さっさと棄教すべきです。(本心は隠せばいい。)
殉教というと美化されがちですが、自爆テロさえも殉教と信じ込まされ(信じ込ませ)ているじゃないですか。
死んだ後で「聖人」とは何の意味があるのでしょうか。
・・・・・・・
話は戻りますが、弾圧されるのは「一神教」だからです。
一神教を布教すること即ち、他宗教は間違っているものと宣言することと同じなのです。(信者はこのことをしっかり自覚すべきです。)
ユダヤ教は一神教の大元(おおもと)ですが、彼らは選民思想ですから布教に熱心になるはずがありません。
それでも、あれほどのホロコーストを経験したのは、一神教だからです。
こから分家したキリスト教は、やたら布教に熱心な宗教です。
政治的野心とセットで利用されましたし、(イエズス会のように)積極的に政治と結びついた行動もしています。
同じ一神教のイスラム教は、宗教自体が法律(国家)の役割を果たしています。
危険視されて当たり前なのです。
・・・・・・・
弾圧には別の側面もあります。
お上から「弾圧していいよ」と許可を得ると、途端に人間の醜い性格が現れて来ます。
イジメも同じ構造です。
暴動で略奪が起きるのも同じ心理です。
中国の「愛国無罪」も同じです。
「アイツをイジメてもいいよ」となったら、カサにかかって虐めるものなのです。
殺しのライセンスを得たようなものです。
ナチス政権下のドイツ人だって、理性はあったはずなのに。
(自分も含め)人間は、そういう状況になれば、残虐性を剥き出しにする生き物だと理解するのは苦しいことです。
・・・・・・・
そして今回の旅の一つのテーマ、
1)苦しいからキリシタンになったのか?
2)キリシタンになったから苦しくなったのか?
です。
五島列島に渡って来たキリシタンは対岸の長崎の外海(そとめ)の住人が殆どです。
外海を預かっていたのは大村藩です。
以前、ここの教会巡りした時、村によってキリシタンは相当差別されていたことを聞きました。
そもそも外海は耕地が狭く、農業は厳しかったそうです。
何故その土地に住んでいたのか?
苦しかったからキリシタンになったのか?キリシタンになったからそんな土地に住まなければならなかったのか?
調べる必要があるでしょう。
そんな外海でしたので、五島列島への入植者募集は魅力的でした。
第一陣は106名(確か)だったのが、噂を聞きつけて3,000人も押し寄せたのです。
この話は既に書きました。
当然、先住者は仏教徒なのですが、折り合いは悪くなかったそうです。
意地悪をしたのは、為政者の五島藩です。
幕府の顔色を伺って、ええ格好をしたかったのは明らかです。
条件の悪い土地で、潜伏キリシタンにならざるを得なかったのです。
明治政府のウケを狙って「五島崩れ」という大弾圧を加えたのも同じ心理です。
やはり、キリシタンだから苦しんだのです。
すると、苦しかったからキリシタンになり、キリシタンになったからさらに苦しくなったということでしょう。
それだけ弾圧を加えられながらなぜ信仰を守ったのか?
もう「守る以外に精神の拠り所は無かった」のではないかとぼくは思うのです。
宗教の罪作りなところは、「来世」「天国」を説くことです。
牢屋の窄で殉教した者の最後の言葉が彫られた碑の中に、「いまからパライソ(天国)に旅立つと思うと幸せです」(意訳)というものがありました。
子供が語ったものです。
・・・・・・・
このあと、彼らにとって「死とは何か」を書こうと思ったのですが、長すぎるので別の機会に。
どうです?
結局まとまらなかったですね。(^^ゞ