・・・・・・・っということで、秀吉は姉の息子である秀次(甥ですね)を養子にしました。
自分の子供が生まれなかったからです。
秀次を後継者とすべく、関白に仕立て上げました。
ところが、自分の子供が誕生した途端、難癖をつけ高野山に幽閉。
ついには切腹を強要します。↓
殉死したのは4名で、やや中央下に殉死者が布に包まれたり、桶に入れられたりしていますね。
ときに秀次27歳。
それでは治らず、秀次の妻子、側室とその子全員を殺害するのです。
京都の三条河原に牛車で引かれていく子女たち。↓
人々が家の中から覗いていますね。
そして、実に不愉快な絵図です。↓
全員が白い装束を着ているのが悲しい。
子供(12歳?)がまさに犠牲になる光景が悲しい。
祈る者、泣き悲しむ者たちが自分の番を待つ姿が悲しい。
左下には、見物客が見えます。
この一連の事件を「秀次公縁起」というそうです。
処刑された者のほとんどが立派な辞世の句を残しているのがまた悲しい。
海外ではこういう図は血まみれのスプラッターで描かれますが、このように描かれないほうが悲しみを増します。
それにしても秀吉という人間、イヤな奴です。



