・・・・・・・っということで、興味ない話でしょうから、スルーしてください。(^^ゞ
法律と言えばバビロニアのハンムラビ法典(紀元前1760年)ですね。
古代ギリシャも法律を持っていたとか。
カトリックのローマ法は近代ヨーロッパの基礎となりました。
イスラム法は宗教であると同時に、法律の性格の方が強いです。
国家主義が進展する中でのナポレオン法典は有名ですね。
法律といっても、誰を対象にしているかによりますが、人を裁く上で成文化された基準は不可欠ですよね。
・・・っで、日本はどうだったのか?
聖徳太子の17条憲法。
律令法、御成敗式目、そして武家諸法度。
信長も秀吉も法律を作っていませんし、江戸時代でも対象は武士でした。
庶民に対しては遠山の金さんとか大岡さばきのように、とても法律とはいえないものでした。
明治になって、ようやく西洋の法律が取り入れられるという流れになります。
・・・っということは、日本における法律の歴史は実に浅い。
海外では早くから法律が存在したのに、なぜ日本はなかったのか?
それは、必要に迫られなかったということでしょう。
島国であることから、海外からの流入者が極めて少なかったからでしょう。
国内に様々な人種、すなわち価値観の違いが混在しなかったからでしょう。
同じ島国のイギリスとは大きな違いです。
では、日本人は人を裁く基準は何だったのでしょうか?
それは「お天道さんが見ている」という言葉に集約されるでしょう。
もともと日本人は「高い道徳心」を持っているのでしょうか?
確かに、江戸時代後期の儒教は庶民に大きな影響を与えました。
それは、日本人にマッチしていたからでしょう。
なぜマッチしていたかというと、厳しい自然環境下の稲作社会は強い結束力が必要とされたからです。
そういう村社会では、抜け駆けとか集団を乱す行為は、法律がなくとも監視の目が強いのです。
ですから、日本人は元々道徳心が強いのではなく、世間の目を常に意識せざるを得ない社会だからだったからでしょう。
そういう社会だったからこそ、儒教を受け入れる素地が整っていたのです。
・・・・・・・
日本人の法律に対する態度は、この歴史の浅さを認識しなければならないでしょう。
東日本大震災で世界を驚かせた日本人の秩序を乱さない行動。
コロナ禍の中で、律儀にマスクをする日本人。
これを日本人の「公徳心の高さ」とみるか?
単に他人の目を気にする「小心さ」とみるか?
意見の分かれるところでしょう。
ぼくには、真の意味での法治国家ではないからだと思えて仕方ないのです。