・・・・・・・っということで、「話せばわかる」は犬養毅が、銃弾に倒れる前に放った言葉として知られています。
実際の証言を読んでみると、一国の宰相として、そして一人の男として、立派な態度だったことは確かです。
暴漢から逃げず、逆に客室に招き入れ、銃口を前に言葉による説得を試みた。
即死ではなく、顔面を撃たれても意識ははっきりしており、9人も銃を発射したのに3発しか当たらなかったのは、訓練が足りていないとユーモアさえ見せています。
伊藤博文がテロリストの安重根に3発撃たれた後、他に撃たれた人がいないか心配していたのが最後の言葉になっています。
立派な人間が、下劣な人間に殺されるという、歴史の残酷性を見せつけられます。
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さて、クオモニューヨーク市長が辞任したそうです。
トランプの天敵で、一時は大統領にとの声もあったくらいの人物でした。
辞任の理由がセクハラというのがなんとも情けない。
彼は罪は認めませんでしたが、謝罪はしています。
それによると、自分は人と親しく接しすぎるきらいがあり、自分の容認ラインと被害者のそれとは大きくズレていたというもの。
物理的な行為はしていないそうです。
上手い理屈立てです。
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ここで連想するのが河村たかし名古屋市長です。
彼も、自分は人と親しく接しすぎるきらいがあり、自分の容認ラインと世間のそれとは大きくズレていたと言いたいでしょう。
もし、彼が辞任するとすれば、クオモの言い訳は大いに参考になると思うのですが。
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さらに連想するのが、菅総理大臣。
ぼくは、マスコミをはじめとする反菅総理の人々が言うほど、彼を嫌っていません。
少なくとも、菅さんは人と親しく接しすぎるきらいはありませんから安心です。
それとは逆に、言葉が足りません。
彼の中に言葉があるのか?とさえ疑ってしまいます。
思いはあるはずです。
それを言葉によって伝える力がなさすぎるのです。
政治家に必要な最大の資質を持っていません。
「話せばわかる」と言った犬飼と真逆の人物が、現在宰相になっているのも歴史の残酷性ですかね。