・・・・・・・っということで、オリンピックも最終盤です。
まともに見たゲームはただの一つもありませんが、日本の若者は頼りがいあるなと感心しています。
負けても勝っても、積み上げた努力の価値は変わらないと思います。
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このインターネットの時代、「知っているつもり」の弊害を気付かされます。
物理的に接触しなくとも、実際に日本にという国に来て、触れあう効果の大きさを感じざるを得ません。
欧米のマスコミ関係者は記事を書かなければなりません。
その取り上げるテーマが、日本のネガティヴな面を伝えるものほど受けることは理解できます。
ベッドが段ボールだとか、送迎バスで立って乗らなきゃならないとか、食事が粗末だとか・・・・。
取るに足らない些細な事象をほじくり出し、自分たちの優越感を満足させる日本像を好んで書きます。
逆に日本をベタ褒めする記事にも違和感を持ちます。
オマエら、日本についてそんなことも知らなかったのか?・・・という感じです。
マスコミ関係者ばかりでなく、選手たちの印象もSNSを通じて伝わってきます。
日本をバカにすれば受けるだろうという心理が透けて見えるものには、哀れに思います。
自らの馬鹿さ加減に気付いていないのです。
同時に、そういうネガティヴ報道を好んで選ぶ日本のマスコミにも腹が立ちます。
日本はそういう遅れた面があるのだと納得させようとしています。
そういう言論に対しては、強烈な皮肉を持って反撃していいんです。
反論しないから、世界は日本に対して歪んだ理解をするのです。
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日本がこのコロナ禍の中で、オリンピックの開催をどれほど悩んだのか、彼らは全く気付いていないのではないでしょうか。
大袈裟な話、命懸けで開催しているのです。
運営に関わる末端の人たちがどれほどの犠牲を払っているか、彼らは気付くべきです。
予想通り、コロナ対策のプロトコルは平気で破られます。
JALで狼藉を働いたオーストラリアの選手たちは国家の恥です。
恥じるべきは、オーストラリアだけではありません。
多少でも、日本を正しく理解したいという気持ちを持って参加するのが国家の代表であるべきです。
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これら全ての事象が「知っているつもり」の弊害です。
すなわち、インターネットの弊害です。
実のところ、自分が信じたいことだけを信じているのです。
オリンピックを通じて、日本も世界を理解できます。
多くの国を訪問したぼくが自信を持って言えることは、日本ほど「まともな国」はありません。
街中をスリに注意せずに歩け、騙されるんじゃないかを心配しながら買い物をしないで済む国は、日本以外どこを探してもないんですよ。^m^