【滝山城】続日本百名城 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、清里からの帰りに八王子インターで下りて、滝山城へ行きました。(2/29)


全体像はこんな感じ。↓



多摩川の右岸にある丘ですね。

北条氏照が八王子城に移る前の居城です。

山城と呼ぶには急激な坂道ではありません。

北東側に多摩川で削られた急激な崖があるものの、その他は緩やかな傾斜です。

その代わり、懐を深くして、様々な障害を設けて、攻めにくくしています。

↓空堀ですね。(3枚とも)




↓これは土橋ですが、クランク状にして両側から攻める工夫をしています。


↓各所に曲輪や馬出しがあって、それぞれかなりの広さがあります。


これだけの広さを持つ馬出しですから、守備兵は多数いたはずです。

山城どころか、大規模な城郭だったと思われます。


↓中の丸もかなりの広さを持っていて、桜が満開ちょっと過ぎでした。



中の丸から本丸の間は深い空堀があって、木橋で結ばれています。↓



本丸の位置など、説明が不親切です。


本丸からは多摩川が望めます。↓

別の角度からは富士山が見えるようです。


籠城に不可欠の井戸も、本丸にあります。↓


ここに本丸があったかは説明がありませんが、神社があります。↓


さて、滝山城の戦略的な特徴ですが、先ず小仏峠を通って関東平野に入る甲州街道の入り口の防衛です。


しかし、ご覧の通り甲州街道を防衛するには離れすぎています。

滝山城は何度か攻撃に遭って、落城寸前まで至った経緯があります。

最初は上杉、次は武田です。

そして最後の秀吉による小田原攻めのときは、北条氏照は滝山城をあきらめて、八王子城に移っています。

実際に両方の城を訪れると、攻撃の難度が全く違うことが分かります。

即ち、滝山城のほうが容易です。

では、何でこの位置に築城したのか?

それは、多摩川の渡河地点である「平の渡し」があったのです。

そちらの意味が強かったとするのが正しいでしょう。

・・・・・・・

余談ですが、多摩川の切り立った崖に近づこうとすると、藪の中に甲冑を着た武士の後ろ姿が見えたのです。

↓ちょうどこんな感じ。(NHK 麒麟がくるのオープニング)


最初は城好きの人が、コスプレしているのかと思いましたよ。

凝ってますね・・・っと声をかけたのですが動かない。

観光目的に建てた銅像かなとも思いました。

でも、目立たない藪の中ですよ。

すると、急に振り向いてこちらを見たかと思うと、スゥ~~っと後ろ向きに吸い込まれていったのです。

我が目を疑いましたよ。

確かに甲冑が立てる音を聞きました。

かつて戦があったとき、ここで討ち死にした武士の亡霊だったかも知れませんね。(^_^;)