・・・・・・・っということで、川村吾蔵という人をご存知ですか?
ぼくは知りませんでした。
龍岡城五稜郭に隣接して、ぴっかぴかの記念館が建っています。

広くはない展示場でしたので、ゆっくり作品と対話(?)する事が出来ました。
見終わって受付を通ったとき、奥から館長さんが追いかけてきて、感想を求められました。
「この作家は人の中にある【善】を引き出していますね。作家はそういった視点を持っていたのでしょう。」と感想を述べました。
すると館長さんは大感激して、「よく分かってくれましたねぇ~」とハグしようとするくらいの勢いでした。
だって、マッカーサーなんてエゴの塊だったし、野口英世もペテン師紛いの危ない面を持っていたのに、彫刻の眼差しはとても柔らかいものでした。
館長さんは、野口英世記念館には5体もの胸像があって、その中でも吾蔵の作品が一番良いと家族から言われた話をしてくれました。
マッカーサーは吾蔵の名声を知っているので、自分のどころか、奥さんや息子の胸像も作らせています。
さらに、GHQの将校たちも次から次に発注しています。
考えてみれば占領軍の立場を利用しているのですから、胸くそ悪いですよね。
しかし、吾蔵の作品からはそんな雰囲気は微塵も発せられていません。
帰国してからの吾蔵の後半生は、決して恵まれたものではありませんでした。
何故なら彼には日本の「師匠」がいなかったのです。
日本の美術アカデミーには師弟関係があって、師匠の「引き」がないと入会できないのです。
いくら海外で評価されていても、いや、評価されるからこそ日本の美術会は門戸を閉じるのです。
そんな説明文はどこにもありませんでしたので、面白い話を聞くことができました。
彼はアトリエを横須賀に移し、アメリカ軍の将校たちの胸像を作りながら、1950年に65歳の生涯を終えました。
長野県佐久市の臼田という小さな村が生んだ天才的芸術家。
(晴天を衝くの)渋沢栄一もそうですが、幕末から明治にかけての人物たちが、現代とは比較にならない進取の気質を持っていたことに、驚きを禁じ得ません。
こういうハコモノには反対の立場でしたが、ナンかこの記念館だけは頑張ってほしいと思いました。






