・・・・・・・っということで、思いのほか島のサイズは小さく、レンタカーで回ると、時間が余ります。(^^ゞ
自転車で周遊する剛の者もいるようです。
期待していた一支国博物館(長崎県埋蔵文化財センター)。↓
黒川紀章設計でお金がかかっています。

期待していたのは壱岐の全体の歴史でしたが、古代限定でした。
古墳のところでも触れましたが、島の中は古墳だらけ。
それだけ有力者が沢山いたということでしょう。
何故か?
交易で豊かになったのです。
朝鮮半島を介して、中国からの文化が壱岐を経由して日本に伝達されていたのです。

海峡の幅は狭いといっても航海は楽ではなかったはずです。
しかし、朝鮮から対馬は見える。
対馬からは壱岐島が見える。
そして壱岐島からは九州が見えるのです。
目的地が見える航海ほど心強いものはありません。
↓ボランティアのお爺さんが真面目に説明してくれます。
模型の白い平なところが原の辻です。

再現された「原(はる)の辻」集落です。

島の中で最大の平地を誇りますので、沢山の集落が形成され、中心地だったそうです。
かなり豊かな島だったようで、大きな古墳があるのも頷けます。

魏志倭人伝には壱岐は、「一支国」という名前で登場しますので、ひとつの独立国家のようなものでした。
↓こういう再現された建物は、見飽きますね。(^^ゞ
