古代の壱岐島 | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、思いのほか島のサイズは小さく、レンタカーで回ると、時間が余ります。(^^ゞ

自転車で周遊する剛の者もいるようです。

期待していた一支国博物館(長崎県埋蔵文化財センター)。↓


黒川紀章設計でお金がかかっています。


期待していたのは壱岐の全体の歴史でしたが、古代限定でした。

古墳のところでも触れましたが、島の中は古墳だらけ。

それだけ有力者が沢山いたということでしょう。

何故か?

交易で豊かになったのです。

朝鮮半島を介して、中国からの文化が壱岐を経由して日本に伝達されていたのです。


海峡の幅は狭いといっても航海は楽ではなかったはずです。

しかし、朝鮮から対馬は見える。

対馬からは壱岐島が見える。

そして壱岐島からは九州が見えるのです。

目的地が見える航海ほど心強いものはありません。

↓ボランティアのお爺さんが真面目に説明してくれます。

模型の白い平なところが原の辻です。


再現された「原(はる)の辻」集落です。


島の中で最大の平地を誇りますので、沢山の集落が形成され、中心地だったそうです。

かなり豊かな島だったようで、大きな古墳があるのも頷けます。


魏志倭人伝には壱岐は、「一支国」という名前で登場しますので、ひとつの独立国家のようなものでした。

↓こういう再現された建物は、見飽きますね。(^^ゞ