・・・・・・・っということで、瀬戸浦古戦場です。
壱岐神社。

元軍は博多を攻撃する拠点として壱岐島を利用しました。
瀬戸浦は出撃港のひとつで、入り江になっていてます。

ここに終結していた元軍に日本側は果敢に攻撃を加えました。
防衛担当は少弐氏で、資能(父)経資(長男)景資(次男?)の親子、経資の息子資時らの名前がありますが、よく分かりません。(^^ゞ

海と陸が戦場になりましたが、なにせ多勢に無勢、資能と資時が戦死しています。
元軍の蛮行は凄まじく、島民を片っ端から殺害しました。
殺害の方法は残虐で、どうやらそれを楽しんでいたようです。
各地に千人塚があって、それによって元軍が集結した場所が分かるくらいです。

↓これは狼煙台で、元寇よりずっと以前の白村江の敗戦がきっかけで設けられたそうです。

若くして命を落とした少弐資時の墓です。↓

1日かけて島を回ったところ、大きな島ではありませんが、隠れて潜む場所は沢山あります。
ですから、全島民が殺害されたのではありません。
しかし、通信手段を持たない時代、突然襲ってきた侵略者から逃れられた人はそれほど多くはないでしょう。
それを思うと、心が痛みます。
国境の島の宿命ですかね。