・・・・・・・っということで、ここから元寇に入ります。
文永の役1274年11月4日-19日でございます。
平景隆は百余騎の武士を率いて蒙古軍を迎え撃ちました。
しかし圧倒的大軍で押し寄せる蒙古軍にたちまち追い詰められ、城中で自害しました。
景隆の自害により蒙古軍は壱岐を制圧し、多数の島民が殺害されました。
彼を祭る神社の石段に腰かける白髭の老人一人。↓


↓平景隆の墓。

記録では日本兵の戦死100名ですが、多数の島民の殺害・・・が心のしこりとして残ります。
↓古戦場です。

日本人の犠牲者を千人単位で埋葬した場所の一つです。

鎌倉幕府末期、日本人はどれほど日本という国を意識し、それを守ろうとしたのか?
21世紀の日本人は思いを至らさねばならないと思いますよ。

子供を抱いたこの女性の石像。
背後で、残虐な殺し合いが行われた戦場を思い浮かべてしまいます。
