蒙古来襲 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ここから元寇に入ります。

文永の役1274年11月4日-19日でございます。

平景隆は百余騎の武士を率いて蒙古軍を迎え撃ちました。

しかし圧倒的大軍で押し寄せる蒙古軍にたちまち追い詰められ、城中で自害しました。

景隆の自害により蒙古軍は壱岐を制圧し、多数の島民が殺害されました。

彼を祭る神社の石段に腰かける白髭の老人一人。↓



↓平景隆の墓。


記録では日本兵の戦死100名ですが、多数の島民の殺害・・・が心のしこりとして残ります。

↓古戦場です。


日本人の犠牲者を千人単位で埋葬した場所の一つです。


鎌倉幕府末期、日本人はどれほど日本という国を意識し、それを守ろうとしたのか?

21世紀の日本人は思いを至らさねばならないと思いますよ。


子供を抱いたこの女性の石像。

背後で、残虐な殺し合いが行われた戦場を思い浮かべてしまいます。