アルメニアvsアゼルバイジャン紛争(その3) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、民族的にはっきりしているアルメニアに比べ、アゼルバイジャンは何となく構成された国家です。

アイデンティティーとしてはイスラム教であること。

アルメニアはキリスト教オリジナルでしたね。

この辺が今回の紛争を理解するのに役立ちます。

ゾロアスター教を信じていたようですが、セルジューク、モンゴル、ティムールの支配を受けます。

アゼルバイジャン人としての自覚が形成されたのは、17世紀のサファビー朝からのようです。

ですから、何となく構成された国家と書いたわけです。

アルメニアでも触れたロシア・ペルシャ戦争で、この地域はロシア帝国に編入され、ソ連へと引き継がれます。

ソ連の崩壊と共に独立したのは、アルメニアと同じです。

アルメニアに比べ、アゼルバイジャンは平地とカスピ海、そして何と言っても石油資源(バクー油田)に恵まれています。

バクー油田はソ連時代からロシアの金づるで、今回のシリーズ紛争でロシアがアゼルバイジャンにも肩入れする理由が分かりますね。

外国からの投資もあって、経済は急速に回復しているようです。

ただし、枯渇する可能性が出てきています。

・・・・・・・

さて、今回紛争(戦争?)の舞台になっているのが、ナゴルノ・カラバフ地方です。

地形図を見れば分かる通りここは山岳地帯です。

鉱業かと思ったら、農業主体だそうです。

住民の70%がアルメニア人です。

1988年2月20日 - 1994年5月12日の戦争が知られていますが、ソ連時代初期の1920年にも紛争が起きています。

このときは、ソ連は自治権を与え自治州としました。

しかし、ソ連崩壊のどさくさに紛れ独立運動が再発したのです。

最終的にアルメニアが勝利し、ナゴルノ・カラバフ共和国として事実上独立します。


↑NKRとある色の薄い部分が戦争後にアルメニアが獲得した実効支配地域です。

戦前は濃いオレンジ色が自治州でした。

これじゃ紛争が再発するのがアタリマエですよね。

元々は両国共にソ連国内で起きた紛争です。

6年も続いた戦争で25,000~36,000人が死亡し、相当残虐な行為が双方であったそうです。

お互いにそういった記憶は持ち続けるものです。

ソ連が崩壊する過程で起きた紛争で、調停役がいなかったのが悲劇でしょう。

厄介なのが、東方教会(アルメニア)対イスラム教という構図になっていることです。

トルコがアゼルバイジャン(イスラム教)を支援する動きをロシアが牽制しています。

冷静になって考えれば、資源も乏しい地帯ですよね。


以上でこのシリーズ終わります。