・・・・・・・っということで、当たり前のことを書きます。
当たり前って、当たり前であるが故に見落とされてしまうものなのです。
『コロナ対策は全員がしなければ効果がない。』
あるいは、『コロナ対策は一人でも破れば無駄になる』。
コロナほど国民の協調性が試される試練はないということでしょう。
協調性とはお互いの理解、思いやりによって生ずるものです。
決して上から強制されて生まれるものではありません。
この思いやりは、二人でさえも難しいのに、地域社会単位、県単位、国単位で成り立たせるのは至難の業であることは容易に理解できます。
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ウィルスの耐性があるとされる若者の行動、一部の店舗が「スト破り」ならぬ「自粛破り」の行為をしています。
その行為が、大多数の人たちが積み上げてきたものを一気にゼロにしてしまいます。
自ら感染を広げているという罪の自覚なしに、人を(特に老人を)殺しているのです。
彼らは言うでしょう、自粛を続けていたら経済が死んでしまう。
経済が死んでしまったら、自分たちも死んでしまうではないかと。
だが、その主張は明らかに間違っているのです。
コロナに打ち勝つには「協調」しかないのです。
彼らの主張は、協調したくないための逃げでしかないのです。
政府、専門家、医師たちは、この未知のウィルスに対する明確な方針を打ち出せないままでいます。
ときには間違った方針を出すでしょう。
無駄な自粛を呼び掛けるかもしれません。
何が正しく、何が間違っているか本当に知っている人は居ないのです。
そんな試行錯誤を頭から否定して、批判するのは簡単です。
それでも、必要なのは協調なのです。
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コロナ対策は最初の段階で分かっていたのです。
ずいぶん前に解決済みでしょ?
「不要不急の外出はするな」、「三密を避けろ」、「手を洗ってマスクをしろ」ただこれだけです。
いま第2波の真っ最中と言われています。
それを招いたのは、こんな基本的なことを守れないのが原因なのです。
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それでも働かなくてはならない、外出しなくちゃならない、たまには旅行しなければ息が詰まる。
日本は自由な国です。
動き回るなと言えないし、法律で強制するものでもありません。
個人の行動を細かく規制するルールもありません。
しかし、動き回るなら、自らにより厳しいコロナ対策を課すべきなのです。
協調性を放棄してはなりません。
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たぶん、このままでは来年のオリンピック開催は無理でしょう。
開催国である日本がいくら自粛を徹底しても、海外の国が徹底しなければ、日本の努力はZEROになるからです。
それでも、日本は開催国としての義務を果たすことでしょう。
何故なら、日本は協調性が極めて高い国だからです。