・・・・・・・っということで、コロナ以後の世界はどう変化しているかについて、だいぶ早い段階で書きました。
それは、生活様式や経済の変化であって、「心」の変化についてではありませんでした。
コロナのような脅威を「災難」と捉えるか、「試練」と捉えるかによって、大きく考え方が違ってきます。
コロナとの付き合いと言われてきた今、そろそろ「試練」と考えるべき段階にあると思います。
コロナは人類に「試練」を与えているのです。
ぼくはこれまでの「会社と人の関係に対する試練」ではないかと考えます。
チャップリンの映画じゃないけれど、産業革命後、人間は画一化の道をまっしぐらに進んできたのではないでしょうか。
画一化とは「他と置き換えられる存在」になるということです。
特に日本は画一化を進めてきたように思えて仕方ありません。
男女を問わず、大学に進学します。
それぞれの大学がブランド分けされ、卒業する大学に応じて性能や品質の(ラベルが貼られた)画一化された労働者が生産されます。
採用する側の企業は、まるで人間をパーツのように自社の生産体制に組み込もうとします。
そして、壊れたり足りなくなったパーツを大学や市中から調達します。
コロナは、会社の形態を見直すことを迫りました。
リモートワークによって、毎日社屋に集まらなくたって仕事は出来ることを証明しました。
社員というパーツが一度バラバラになることによって、会社とは人と人の関係によって成り立っているという当たり前のことに、改めて気付かされたのではないでしょうか。
コロナの試練を乗り切ることによって、個人がより自由な社会が訪れるとは、ちょっと飛躍しすぎですかね。(^^ゞ