そんな言葉の中のひとつに「自粛ポリス(警察)」があります。
このあいだ駐車していた車のワイパーに「県外の車は出ていけ」と書いた紙を挟んだヤツ。
3日前に、たった30m離れたごみ置き場にごみを持っていったとき、敷地内ではマスクをしてくださいと注意したヤツ。
こういうヤツらを「自粛ポリス」というのです。
正義がどちらにあるかと言えば、ぼくに勝算はないでしょう。(^_^ゞ
しかし、スッゲェ~気分が悪いんです。
何故かを考えるのが今回のテーマです。
・・・・・・・そもそも政府が出したのは「自粛要請」です。
読んで字のごとく、自分が自分に課すのが自粛であり、他人に課すものではありません。
自粛ポリスは大きな勘違いをしているのです。
アンタらに警察の代行をするように誰も頼んでいないのです。
自分は正義側だから権利があると考えるのは、「村社会」の発想です。
彼らの行動の支えは、「村八分」にするぞです。
ぼくが気分が悪くなるのは、普段は権力側に媚びている連中に限って自粛ポリスになることです。
・・・・・・・
もっと嫌なのは、知らず知らずに自分も自粛ポリスになっていないかということです。
そして気付くのです、まんまと「政府の策略に」乗せられているということを。
安倍総理の言葉が全然心に響かないのは、国民を鼓舞せず強いリーダーシップを示さないからです。
何故か?
強い言葉を使えば、そのぶん責任(補償金)として返ってくるからです。
国民に理解と協力をお願いしますというふうに、何となくボヤかしているのです。
当然、政府は意図的にやっているのであって、これに気付いている人は少ないのです。
こういう政治手法を取る安倍政権を、「国民の忖度期待内閣」と、ぼくは勝手に名付けています。
これは日本独特なものであって、海外では見られない手法です。
自粛ポリスはこの手法を強力にバックアップします。
行政は自分達の監視能力を使わずに、国民同士で監視させるのです。
実に巧妙なやり口だと思いませんか?
普段は「反安倍」を公言している人間に限って、まんまと引っ掛かっているのです。
・・・・・・・
自粛ポリスの抱える危険性、それはズバリ「相互監視社会」です。