・・・・・・・っということで、「明智光秀」が脚光を浴びています。
彼の起こした「本能寺の変」、これほど面白いテーマは日本の歴史上ありません。
大盛り上がりのパーティー会場に、裏口からちょこっと忍び込むような感じで、ぼくなりの意見を書かせてください。
先ず、これは典型的なクーデターであるという認識から始めなくてはなりません。
歴史上、クーデターは珍しいものではありません。
カエサルが死んだのもクーデターですからね。
ですから、本能寺の変は特殊なものではなく、ありふれた事件なのです。
クーデターの成功率を研究した文献があるのですが、大雑把に50/50です。
明智光秀のケースは、半々で成功の可能性があったのです。
クーデターの首謀者は、大体がエリートと相場が決まっています。
2.26事件を思い出す必要もないくらい。
明智光秀は明らかにエリートです。
エリートとは理想主義的なのが一般的です。
要するに、織田信長というリーダーが、明智光秀の持つ理想像から大きく外れたから排除したのです。
これが殺害動機です。
何も難しい話じゃありませんね。
では、明智光秀が抱く理想像は何かという点です。
ぼくは、彼が医学の造形が深かったことに着目します。
幕末から明治にかけて、活躍した人物の多くが医学を学んでいることはよく知られています。
大村益次郎は医者、久坂 玄瑞も橋本左内も藩医、桂小五郎は医者の息子と、いくらでも例が上がります。
幕末において医学を学ぶとは蘭学に通じますが、明智光秀の時代はちょっと無理があるものの、医学は合理的な精神に通じるものです。
刃向かう者に対して残虐性を剥き出しにする信長は、明智光秀にとって非合理であり、彼の理想から大きくかけ離れた存在に変容していったのです。
理想主義者の明智光秀の中で信長を殺すとは、正に「正義」であったはずです。
正義に囚われた者は、往々にして現実に盲目になるものです。
信長を殺すという正義を行ったのだから、世論は自分に味方すると考えたのです。
彼の失敗原因に、計画が杜撰だとか、「根回し」が足りなかったとよく言われます。
しかし、クーデターで根回しを綿密にやればやるほど、失敗の確率は上がるのです。
彼の中で、絶対正義であることへの確信が高かったからこそ、事後処理が杜撰だったのです。
明智光秀とはそういう男だったのです。
歴史とは実に皮肉で面白いものだとつくづく思います。
彼のライバルであった秀吉が、ことごとく光秀と正反対の性格であったことです。
無教養で現実主義者、信長の行った非道なんてこれっぽっちも気にしない。
彼の中に、世の中はこうであるべきなんて一般的理想像は皆無なのです。
目の前の現実を冷徹に判断して、一瞬でベストな回答を発見できる天才が秀吉なのです。
明智光秀も相当な戦上手でした。
彼のすべきことは、後れ馳せながら根回しに時間を費やすをことではなく、目の前の秀吉を破るという「現実を見せ付ける」ことに全ての力を注ぐことだったのです。
所詮、天下を取るまでの力量を彼は備えていなかったということでしょう。
クーデターが失敗する典型的な道を歩んだだけです。
世界史の観点からすれば、本能寺の変はとるに足らないクーデターの失敗例でしかないのです。
日本人がこれほど大騒ぎするのか、たぶん理解できないでしょうね。
日本人は何でも「浪花節」でものを見るので、真実の姿が曇ってしまいます。