土曜日朝の番組で「サワコの朝」という番組に、(神田松之丞改め)講談師の六代目 神田 伯山が出演していました。
彼は、「伯山」のイントネーションは「かけ算」と同じと表現しました。
上手いこと言うなと感心しました。
ぼくがオーストラリアを旅行したとき、【souvenir】の発音が分からず、何度言っても相手に伝わらなかったことがありました。
「スーベニア」は外来語になるほど知られていますが、発音となるとサッパリ分かりません。
連れのバイリンガルが、【engineer】と同じイントネーションだよと助け船を出してくれました。
こんな単純な話で、神田伯山という男はただ者ではないなと思いました。
聞くところによると、百年に一度の逸材で、消えかかっていた講談という芸能が、彼のおかげで大人気になったそうです。
感心したのは、まだ36歳の若さで「人たらし」であることです。
人たらしは、「たらしてやろうという、明確な意図を持っている人」と定義しました。
毎日ボぉ~っと生きている大抵の人と違い、人たらしは常に企んでいるのです。
だから、たらそうとする人には敵わないのです。
人たらしとは、どんなことにも「再定義」し続ける人であるとも言えます。
何故かというと、他人と同じ意見や表現では、誰からも注目されません。
そのために、どんな言葉でもいったん分解し、自分なりの理解や表現で再定義す必要があるのです。
そこで初めて、自分は他人との違いを身に着けることが出来るのです。
インタビューでのやり取りを聞きながら、彼は希代の人たらしだと確信しました。
何事も彼なりの「見る角度」=再定義を持っているのです。
秀吉が良い例であるように、人たらしは悪い面にも良い面にも評価に使われるものです。
彼が纏うちょっと危ない感じは、人たらしの悪い面が滲み出ているからです。
現代の人たらし神田伯山。
彼が政治家でなくて、講談師であることが、この国にとって幸いであるか不幸であるか・・・。(^ω^)