・・・・・・・っということで、富山城は日本百名城には含まれていません。
石垣と壕は一部残っていますが、城そのものの資料は残っていません。
ですから↓コレは城の形をした郷土博物館です。
鉄筋コンクリート造りでエレベーターも備わっています。

しかし、多くの城がそうであるように、富山城は県民の心の支えの役割を担っています。

平城ですが、富山平野のほぼ中心に位置し、神通川の東側に面していますので、行政と共に戦略的な要地であります。↓
東西の何れから攻めるにしろ、神通川を渡河する必要があり、この城が邪魔になります。

富山湾に面するこれらの平野は米処(こめどころ)であり、支配者にとって魅力的な土地です。

富山城は神保氏によって築かれました。
西の一揆勢、東の上杉謙信、南の武田信玄らがこの地で戦いを繰り広げ、織田信長の家臣である佐々成政が城主になりましたが、結局、豊臣秀吉によって討伐されました。
江戸時代になって前田氏の所有になって、利長、利次など代々の居城となっています。
この城が藩政の中心地だったことが分かります。

↓この石垣には古い石積が残っていますが、このような大きな石を組み込むのは珍しいですね。

お城の展示品というのはどこも代わり映えがしないのですが、展示の仕方を見れば、一目でおざなりなのか、気合いが入っているかすぐ分かるものです。
ここは、気合いが入っています。(^^)/
そんなことから、富山県が教育に力を入れていることが判明するのです。
↓富山県人気質をわりと知っている方ですが、こんなユーモアがあるなんて意外です。(^^)d
