富山城 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、富山城は日本百名城には含まれていません。

石垣と壕は一部残っていますが、城そのものの資料は残っていません。

ですから↓コレは城の形をした郷土博物館です。

鉄筋コンクリート造りでエレベーターも備わっています。


しかし、多くの城がそうであるように、富山城は県民の心の支えの役割を担っています。


平城ですが、富山平野のほぼ中心に位置し、神通川の東側に面していますので、行政と共に戦略的な要地であります。↓


東西の何れから攻めるにしろ、神通川を渡河する必要があり、この城が邪魔になります。


富山湾に面するこれらの平野は米処(こめどころ)であり、支配者にとって魅力的な土地です。


富山城は神保氏によって築かれました。

西の一揆勢、東の上杉謙信、南の武田信玄らがこの地で戦いを繰り広げ、織田信長の家臣である佐々成政が城主になりましたが、結局、豊臣秀吉によって討伐されました。
江戸時代になって前田氏の所有になって、利長、利次など代々の居城となっています。

この城が藩政の中心地だったことが分かります。


↓この石垣には古い石積が残っていますが、このような大きな石を組み込むのは珍しいですね。


お城の展示品というのはどこも代わり映えがしないのですが、展示の仕方を見れば、一目でおざなりなのか、気合いが入っているかすぐ分かるものです。

ここは、気合いが入っています。(^^)/

そんなことから、富山県が教育に力を入れていることが判明するのです。

↓富山県人気質をわりと知っている方ですが、こんなユーモアがあるなんて意外です。(^^)d